轟音


生徒会の会議を終えて、八田と雑談をしながら下駄箱まで歩く。

「今日の会議は上の空だったな、星馬?」
「…ゴメン…ちょっと…考え事してた。」
「ちょっとどころではなかったぞ!」
「ゴメンって!次からはちゃんと集中する。」
「本当だろうな?」

烈の頬を抓ろうと、八田の手が延び、その手を回避するように烈が身体を捩る。
一種のじゃれあいみたいなもので、お互い本気で言い合ってる訳ではない。
それが分かっているから、八田も烈も笑顔で階段を降りていた。

「よっ!楽しそーじゃん、八田!!」

突然声を掛けられて二人同時に視線を上げると、下駄箱で豪が待っていた。

「豪!」
「星馬弟か。」

烈は豪を見つけるなり駆け寄ると、今ではもう背伸びしなければ届かなくなった豪の頭を叩く。

「"八田"じゃなくて、"八田先輩"!だろ!」
「イってーな烈兄貴!いきなり叩かなくてもいいじゃん!
それに、八田は八田だろ!兄貴だって"八田"って呼ぶじゃんか!」
「まだ言うか!!」

兄弟のお決まりのやり取りに、八田はやれやれと溜息を吐く。

「もう良い、星馬。それより弟、お前兄貴を待ってたのか?」
「おぉ!俺も今部活終わって。部室出たら、廊下歩いてる兄貴が見えたからさ。」

一緒に帰ろうと思って、と続ける豪に、八田が烈へ手を向けて、しっしと追い払う仕草をする。

「今日は塾もないしな。この五月蝿い弟を連れて先に帰れ、星馬。」
「だけど…今日の議事録、このあと八田の家で作るって…」
「せっかく弟が待っててくれてるんだ、今日は帰れ。議事録は俺一人でも大丈夫だ。」

それに会議中上の空だったお前に議事録は書けない、とまで言われ、
烈は頷くしかない。

「…悪かったよ…次は僕がちゃんとやるから…ゴメン。八田」

行け、と顎でしゃくられ、烈は靴を履き替えた。
後ろ髪引かれる思いからなのか、罪悪感からなのか、何度も烈が背後を振り返るのを見て、
豪が苦笑と共に問う。

「俺、待ってちゃ迷惑だった?」
「そんなんじゃないけど…八田に僕のミスをカバーさせたくないなって…思ったから…」
「ふぅん?烈兄貴にとって、八田って、何?」

校門を出て、駅へ向かって歩くその道中、豪から再び質問をされる。

「…お前、それ昨日も聞いてたな。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ブレットとはどんな関係だって聞いてきただろ?
ブレットも、シュミットも、ミハエルも、八田も…大切な友達だよ。」

溜息と共に告げると、豪はいまいち納得したような、納得していないような顔をしている。

「友達…ねぇ…」
「納得してないのか?」

じゃあ、友達以外に何があるっていうんだと突っ込みたくなるが、口には出さずに居た。
いちいち藪は突かない方が良い。
烈の交友関係に関する豪の詰問に近い質問には、烈自身辟易していた。
いつか一時付き合った彼女よりも質問攻めにされるし、酷く気分を害される。
また同じ問答を繰り返すくらいなら、豪が納得していなくても話を切り上げたかった。

「そういえば…ごめん、また手紙を預かってきちゃって。」
「…また…?烈兄貴も懲りねーよなー。」
「…そう言われたって…」
「なんのために、ジュンと付き合ってると思ってんの?」
「…え?」

隣で並んで歩き、事も無げに告げる豪に、烈は反射的に豪を見上げた。
珍しく、豪が手紙について何かを言ったと思ったら、とんでもない事を言われたような気がした。

「豪…?」
「烈兄貴さ、俺、兄貴の目の前で手紙破っちゃうんだし、結果はわかってんじゃん?
なんで預かってきちゃうかなぁ…。」

面倒くさそうに告げる豪には、ラブレターを貰ったのだと浮かれていた当初の面影は全くなかった。

「兄貴はさ、いい人だから、そうやってみんなにいい顔してればいいケド…俺は違うよ?」
「ご…ぉ…?」

知らず、烈の足は止まっていた。
けれど豪は構わずに歩く。
烈と、豪の差はどんどんと開いていった。
そして、二人の距離が10メートル開いたあたりで、ようやく烈を振り返った。

「なぁ、兄貴だけだと思ってる?手紙、預かってるの。」
「…え?」

夕日を背に、また豪の表情が見えない。
最近、こういった逆光で、豪の顔を見ていない事に、今更ながら烈は気付いた。

「俺も、兄貴宛の手紙預かるんだよね。何通も、何十通も。
あいつ等、『せーば先輩に渡してください』ってしつっこくてさぁ。」

人気のある兄貴を持つと大変だ、と首を竦めている。
ただ、細かな表情は見て取れない。
それが、烈には酷く不安だった。

少なくとも豪は、正義感の溢れる熱血児童だったはずなのに。
一体、何時の間にこんなに暗く、不気味な雰囲気を漂わせるようになったのか…。

烈は自身の指が、細かく震えていることに気付いた。

「…お前…今までそんな手紙…僕に渡した事ないじゃないか…」

なんとか絞り出した声は、正確に豪に届いたかどうかは分からない。
だが、逆光の中、豪の口角が上がっていくことだけは、確認できた。

「あったりまえじゃん。だって、渡してねーもん、俺。」
「豪…」
「人の力に頼って告ろうなんて、そんで兄貴から返事貰おうなんて都合が良すぎんだよ。」
「じゃあ…お前が預かった僕宛の手紙って…」

烈の表情が消えていくことに気付いたのか、豪は離れていた10メートルを縮めて烈の隣まで戻る。
その姿は、粗野とも思えるが、このときの烈には超低速再生のテープのように、
やけにゆっくりと、そして優雅にも見えていた。
豪…というよりも、逆光の影が自身に向かってきているような錯覚。
だんだんと大きくなって、やがて影は、豪の学ランと一つになる。

烈の隣まで戻ると、ぴたりと足を止めて、豪は身を屈める。
中学へ上がるまでは、僅かに烈の方が勝っていた身長も、今では豪の方が随分と高い。
そして、烈の耳元へとささやきかけた。

「そんなもの…全部、燃やした。」

事も無げに告げる豪に、烈は視界が真っ暗になるのを感じた。





豪から思わぬことを告げられて、頭が真っ白になった烈は、
それからどうやって自宅に帰ったのか記憶があまりない。
気付いたときには、玄関の前に居て、鍵を開けていた。

豪の言葉を思い返し、烈は軽く身震いする。
何かから逃れるように家に入り、自室へ篭る。
まだ、豪は帰ってないようだった。

鞄も投げ出し、烈は制服のままベッドに倒れこんだ。
身体の震えはまだ止まらない。

豪は一体いつから変わってしまったのだろう。
あんな、人の想いを無碍に出来るほど、冷酷でも器用でもなかった筈だ。
何がそうさせるのか、烈は酷く怖くて自身の身体を抱きしめるように丸まる。

豪の表情がフラッシュバックする。
ジュンと付き合い始めてから、ちゃんと顔を合わせていないせいで、
浮かぶのはまだあどけなさの残る少年の顔つき。
そして、先ほどの逆光の中に浮かぶ、口角がやけに印象的で、烈の脳裏から離れない。

先ほどの豪は得体の知れない感じがして怖かった。
けれど、烈が一番恐怖したのは…

(――豪が…僕宛の手紙を燃やしていた事実に対する、優越感…)

烈はさらに自身を強く抱きしめる。
あの時、豪の口からは思いもかけない言葉が次々と出てきた。
烈にとっては驚くべき事実ばかりだったし、豪がそのような事をしている事実も、考えも、怖ろしかった。
だが、その時確かに、烈は恐怖と供に、他の者に対する優越感も感じたのだ。

強く、揺るがない瞳で、ただ烈だけを求めるような言葉を告げる豪が、
この上なく嬉しく、何に代えても愛おしかった。

「僕は…僕……は……どうかしてるっ!」

何時の間にか流れ落ちた涙が、暫く止まることはなかった。
烈には、これが何の涙なのか、良くわからなかった。



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