陽だまり


「…ただいま…」

午前0時過ぎ。塾の講義を終え、更に自習室で2時間ばかり八田と勉強をして帰宅する。
そのサイクルで生活しているため、最近は毎日こんな時間に帰宅している。
当初、流石に0時過ぎるのは…と顔を顰めていた両親も、
勉強に励み、確実に模試の結果に繋げている烈に何も言わなくなった。

それでも、若干の後ろめたさもあり、烈はいつも静かに帰宅する。
今では、家族の中で一番帰宅が遅い。

流石にこの時間になれば、ジュンも居ない。
玄関に彼女の靴が無い事にどこか安堵しながら、烈は静かにリビングへはいった。
ソファに鞄を置くと、洗面所で手洗いとうがいをする。
キッチンに戻って、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、背後から小さな声で、「おかえり」と聞こえてきた。

「ただいま。豪、まだ起きてたのか?」
「烈兄貴、最近少し遅いんじゃねぇ?」

「そうか?」と軽くかわして、烈はテーブルの上の夜食に手を伸ばす。
小さめのおにぎり2個と、たくあんが小皿に載っていた。
時刻は0時過ぎ。全部食べる気にはなれなかったが、残すのも勿体無い。
烈は少し考えて、ラップに包まれたおにぎりの一つを豪へ投げた。

「サンキュ。」

綺麗に受け取り、豪もラップを外しておにぎりを頬張る。

「烈兄貴、受験なんてまだ先なんだから、もう少しセーブしても良いんじゃねぇの?」
「ばぁか。そんなこと言ってたらあっという間に受験なんて終わっちゃうよ。」

言いながら、烈は豪の横をすり抜けて、リビングに移動する。
テーブルの上のリモコンに手を伸ばして、ニュースにチャンネルを合わせた。
豪も、烈に倣ってリビングへ移動し、烈の隣に座る。

「そんなもんかなぁ?烈兄貴少し飛ばしすぎじゃねぇの?」
「お前が少しのんびり過ぎるんだよ。」

苦笑しながら、烈はおにぎりを食べる。
ほんのり出汁の効いたおかかは、おにぎりの中でも好きな方だ。

「あ、烈兄貴のおかかじゃん!一口ちょうだい」

言うなり、豪が烈の手からおにぎりを食べる。

「あっ!豪!!」

腕を取られ、強引に引かれて烈はバランスを崩す。
倒れこまないように、なんとか腹筋で支えてその場に留まるが、おにぎりは半分以下になってしまった。

「俺ののりたまもあげるからさ!」

ずいっと豪の手が伸びてきて、烈の口元にのりたまおにぎりが差し出される。

「…別にいらないよ。っていうか、これ本当はどっちも僕のなんだけど。」

はぁ、と溜息を吐いて、烈は残りを口に入れてしまうと、立ち上がって鞄を持った。
じくじくと胸が痛み、鼓動は強く喉から心臓が飛び出てしまいそうな感覚がして、
足元が少しぐらついた。
が、何とか豪にはバレずに済んだようだ。
確りと立って、ソファの背面から扉へ向かう。

「豪、おまえ明日も朝練で早いんだろ?早く寝ろよな。」

烈がリビングから出ようとするように、豪も立ち上がってキッチンへお茶を取りに行っていた。

「わかってるって。それより兄貴、風呂は?」
「これから入る。」
「そか、んじゃ俺、追い炊きしてきてやるよ。」
「…今日はやけに親切じゃないか。宿題でも溜めてるのか?」

あからさまな親切心に、烈はどうも勘繰ってしまう。

「なんだよ烈兄貴!ヒデーじゃん!俺はいつも親切だってのに。」
「…そうかぁ?何かあるんじゃないのか?」
「……んー…まぁ…そこまで疑われると。」

明後日の方を見ながら、指先で軽く頬を掻く仕草は、幼い頃と変わっておらず、烈はどこかほっとする。
苦笑しながら、豪の言葉の先を促す。

「なんだよ、言ってみろよ。」
「…うっ…実は、次の定期考査の範囲、めちゃめちゃ広くて。。。
兄貴が1年の冬に受けたときのテスト、残ってたら貸して欲しいんだ。」

観念してごにょごにょと言い出す豪に、烈は苦笑した。

「分かったよ。探しておいてやる。」
「マジで?やりぃ!!んじゃ、俺追い炊きしてくるから!」

部屋を飛び出す豪に、やれやれと溜息を吐き、烈も階段を上がって自室へと入った。
鞄を置き、疲れとともに身体を投げ出すようにベッドに座り込むと、タイミングを見計らったようにケータイが鳴り始めた。
着信を見ると、今日、八田との話題に出たばかりの人物。

「Hello?」
『Hi、レツ!!』

出ると、電話越しにブレットの声が聞こえてきた。

『もう寝てたか?』
「No…Not yet.」
『そうか、それは良かった!実は知らせたいことがあって電話した。』
「君は特に用事が無くても電話してくるじゃないか。」

揶揄うように告げると、電話の向こうから『それは、烈の声が聞きたいからさ』と告げられて、
烈は笑うしかない。

『実は、今度日本との共同研究の都合で、暫く日本に滞在する事になった。
何日かフリーになるから、烈にいろいろ案内を頼みたいんだが。』
「Really? When do you come to Japan?」
『Ah…wait……来週の水曜からだな』
「OK.I can have free day to guide you.If a plan is fixed, contact me.」
『Ofcause!レツに会うのが楽しみだ。』
「Me,too.」

その後、他愛ない会話をかわして通話を切る。
ブレットとの会話にはなるべく英語を使うようにしているが、
まだまだ会話するには不足なようだと感じる。
ケータイの画面に表示されている時計を見ると、既に1時を回っていた。
本当はそのまま眠ってしまいたいくらいだったが、風呂に入らなければと起き上がった。
部屋の扉を開けると、そこには豪が立っていた。

「…っと…豪!ビックリするじゃないか。」
「…今の…誰?」
「誰って…?」
「電話してたじゃん?」

扉の前に立ちふさがる豪の表情は、階段照明の陰になって良く見えない。
が、声は無機質な印象を受け、烈は背筋に冷たい何かを感じた。

中学二年辺りから伸び始めた豪の身長は、烈の身長をゆうに越え、180cmを越えている。
その上運動で筋肉をつけているから、体躯も確りしている。
そんなガタイで扉の前に立たれると、『小柄』に分類される烈は、部屋から出ることもできない。

「電話って…ブレットだよ!お前立ち聞きしてたのか?」
「ブレットが兄貴に何の用?」
「……今度日本に来るから、ガイドを頼まれただけだ。」
「へぇ?」
「もうっ!どけよな!」

ぐいっと豪の身体を押してみるが、ビクともしない。
烈は若干苛立ち気味に豪を睨みあげる。

「豪、どけよ。」
「ブレットと兄貴ってどういう関係?」
「…どうって…友達だけど?」

何を問うのか、と烈は豪を見上げる。
ブレットは豪とも友達だ。それを何故、あえて質問するのか、烈には理解が及ばない。

「お前だって、ブレットとは仲が良かっただろ?」
「…じゃあなんで…ブレットは烈兄貴に頻繁に電話かけてくんだよ…
俺には掛かってきたことない。」
「何でって…それはお前が番号教えてないからだろ?」

とりあえず、夜も遅いし烈は心身ともにくたくただった。
早く風呂に入って、身体を温めて寝たかった。
豪とは違い、朝練はないが、学生である以上は学校に間に合う時間に起きなければならない。
何か言いたそうにしているが、言葉に詰まっている豪に、烈は不信な目を向ける。

「…豪?」
「…もう、いいよ」

ぷいっとそっぽを向くように、豪は自室へと閉じこもる。
ああいった態度は何か不服な事がある時なのだが、疲れている烈は、とにかく早く休みたかった。
閉じこもる豪を気にしつつ、考えることが億劫で、階下の風呂へと向かっていた。



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