歪み





果たして、左近の言葉は現実のものとなりつつあった。

二日前、三成にいわれの無い暴力を受け、左近に手当てを受けてから、
政宗の取り扱いは格段と良くなった。
ほぼ部屋に軟禁状態だったのだが、屋敷内であれば好きにして良い、と伝えられた。
おかげで政宗は自由に外の空気を吸うことができるようになった。
そして、自由に部屋を出て歩き回ることも。
暇つぶしがてら、屋敷の中を歩いてみた。けれど、一向に三成を見かけなかったのだ。

三成の執務が忙しいこともあるだろう。
けれど、同じ屋敷の中に居るはずの三成と、すれ違うことすらなかった。

(まぁ、三成が執務に励んでおるのであれば、何も問題はなかろう。)

政宗も、勢いで左近の願いを受け入れてしまったとは言え、
実際三成と顔を合わせるとなれば、気まずかった。
あられもない姿や、痴態を暴かれているのだ。好き好んで三成と会いたいとは思えなかった。
時折、渡りや濡れ縁から見かける左近の、日々憔悴していく姿に、若干心は痛むのだが。
あの信玄に従事し、どんな厳しい仕事も飄々とやってのけてきたという左近が、
たった二日でこの憔悴っぷり。流石に政宗も気に掛かる。

忙しそうに沢山の書簡を抱えて廊下を歩く左近に、政宗はためらいがちに声を掛けた。

「…左近…」
「おや、政宗サン。どうされました?」

忙しそうに立ち回る左近に気が引けたが、政宗は耐えきれずに声を掛けた。

「忙しそうじゃな。」

見上げてくる政宗に、左近は軽く首をすくめて見せた。

「まぁ…ごらんの通りですよ。でも、それも明日、政宗サンが解決してくださるでしょう?」
「…うむ…」

らしくなく、言いよどむ政宗に、左近は書簡を廊下に置いて、政宗の手を取った。

「左近?」
「まぁ立ち話もなんですし、座りましょう、政宗サン。」

ちゃんとした座敷でなくて申し訳ないですが、と一言断りを入れてから、
左近は中庭に面した廊下に足を投げ出し、政宗を促した。
それに素直に従う。

「忙しいのだろう?いいのか?」
「なぁに丁度これを部屋に運んだら、休もうと思っていたところです。
ちょっと前後するだけです。構いやしませんよ。」

左近の気遣いに感謝しつつ、政宗は倣って腰掛け、中庭を見つめた。

「その、三成…は…どうじゃ?」
「平静を装ってはいますがねぇ。心ここにあらず、ですね。
殿が本気で仕事を片付けてくれれば、左近は楽ができるんですが。」

少しおどけて見せれば、政宗は少し思案した後、左近を見上げた。

「悪いが左近、明日借りたい場所がある。」
「借りたい場所?」
「あと、準備してもらいたいものがあるのじゃが…」
「構いませんよ、政宗サンの頼みなら。」

遠慮がちに呟く政宗に気を遣わせまいと、左近は笑顔を浮かべてその頭を撫でながら言った。

「政宗サン、少し遠慮しすぎじゃないですかね?」
「左近?」
「あなたはもう少し、自分を通しても良い。」
「…わしは、わしの思うまま振舞っているつもりじゃが…」

相変らず頭を撫でられながら、政宗は左近を見上げた。
何故か左近には心を許してしまう。
それは母のような、父のような、包容力のせいだろうか。

優しく微笑む左近に、政宗も今まで張り詰めていた緊張が解けていくのが分かった。
一人、大阪に留め置かれた不安や寂しさなどが解けて行く。

「政宗サン、あなた優しい方だ。」
「何を急に…」
「左近の、独り言です。」

にっこりと微笑まれ、政宗は頬が熱くなるのが分かった。
今、己の顔は、見て分かるほどに赤くなっているのではないだろうか。
とても恥ずかしくなって、政宗は俯いた。
居た溜まれず、すくっとその場から立ち上がって去ろうとするが、去り際、左近にその手を取られた。
その行動に、さっと政宗の顔色が変わる。
二日前の三成とのやり取りを思い出し、体が恐怖に固まる。

「すみません、政宗サン。殿を、救ってやってもらえませんか?」
「…さ…左近…」

恐怖に固まる体をそうと知りつつ、左近はゆっくりと腕を引いて、
もう一度、細かく震える政宗を座らせた。

「もう少し、左近の側に居て欲しいんですがね。それと、もう一つ、わたしの頼みを聞いて欲しいんです。」
「わ…分かったから…放…」

二日前の出来事を思い出している、と知りながら、左近はさらに政宗の体を引き寄せて、何事かを囁いた。
その言葉に政宗は目を瞠はる。
驚きに体の震えも止まっていた。
その後、困ったように視線を様々に彷徨わせた後、じと目で左近を見上げ、小さく溜息をつくと、
左近の肩にことり、とその頭を預けた。

「左近、お前だけは敵に回したくない。」
「最高の賛辞ですね。」

口角を引き上げる左近と、ぷくっと頬を膨らませる政宗。

「じゃが、憎むことができぬ。…わしはお主が欲しい。」
「政宗サン…」
「三成を見限ってわしの元へ来い。望みのままに迎え入れる。」

困ったな、と左近は呟いて、再び政宗の頭をその大きな手で撫でた。
ただ、今は政宗の頭が左近の肩に乗っているため、抱き込むような、まるで恋人を慈しむような撫で方になっているが。
その大きな手に撫でられながら、子供扱いされていることに、政宗は不思議と腹が立たなかった。

「政宗サンには、伊達三傑がいるでしょう?
うちの殿は智謀には長けてますが、戦下手ですからね。左近がついててやらないと。」
「…残念じゃ。
じゃが、いつでもわしを訪ねて来い。否、年に何回か、訪ねて来るのじゃ!
こうして左近の頼みを聞いてやっているのだからな!」

純粋に好意を向けられて、左近も悪い気はしない。
政宗には不思議な魅力があった。それは左近も否定はしない。
素直に体を預けてくるこの体温も心地良い。
だが、そろそろ時間切れだ。

「政宗サン、そろそろ…」
「うむ。左近が奥州来訪の約束をしたら、引き上げよう。」
「困ったお人だ。」

嬉しそうに右の小指を差し出してくる政宗のそれに、左近は自らの右の小指を絡めて約束をした。
満足したのか、政宗は、うむ、と軽く頷いて、立ち上がった。
左近の手を取り、彼が立ち上がるのを助ける。

「何かあれば、すぐわしに言うのじゃぞ!」
「ありがとうございます。政宗サン」

置いてあった書簡を左近に渡し、政宗は当初とは違い、意気揚々と引き上げていく。
左近はその後姿を見送って、おもむろに背後に向かって語りかけた。

「本当に、可愛らしい人ですね、政宗サンは。殿が夢中になるのも分かりますよ。」
「…左近…」
「覗き見とは、殿らしくない。」

笑って振り返れば、些か乱暴に襖が開いた。
それは、左近の主の不機嫌さを現しているようだった。




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引き続き、左近と政宗。
左近が大人なんで、三成との絡みより、左近との絡みの方が書きやすい…。
左政になりそうになって、必死に軌道修正。
大人の包容力、侮りがたし。