歪み 政宗から剥いだ帯に着物を集めていると、ゆっくりと障子戸が開いた。 「殿、子供相手に手加減無しですかい?」 現れた島左近からすら、その姿を隠すように、三成は政宗の体を背後にやる。 白い単衣を体にかけてはあるが、情事後の艶のある政宗の姿を、いかな腹心と言えど見せるなど勿体無い。 「やれやれ、困ったお人ですねぇ。そうやって無理ばっかさせると、壊れちゃいますよ、政宗サン。」 「左近、いくらお前でも勝手に入ってくるな。」 「おや、それが気を使って周囲の人払いをした腹心にかける言葉ですか?」 「…感謝は、している。」 「じゃあ、殿。そろそろ戻って仕事片付けてくれますか?」 あなたが居ない数刻の間に、山ほどの書簡が溜まっている、と左近は三成の執務室を指差した。 「政宗をこのまま放っておけと言うのか。」 「左近が、ちゃんと政宗サンを清めて、お部屋までお届けしますよ。」 「手を出すなよ」 「…主の情人に手を出すほど、無粋じゃないですよ。」 全く困った、と溜息をついて、左近は三成を見た。 三成はどこか逡巡しているようではあったが、左近の言葉に素直に従うのだろう。 ゆっくりと立ち上がった。 そして呟く。 「政宗は、きっともう、わたしとは口を聞くまい。視線すら、合わせてくれぬだろう。」 わたしはいつも、間違えてしまう。と寂しそうに零して、名残惜しそうに部屋を後にした。 「…不器用な上司を持つと、大変だ。」 そんな三成の背を見送って、左近は目の前に横たわる政宗を、そっと抱き起こして湯殿へ連れて行ったのだった。 「……ん……」 「お、気がつかれましたか?」 ゆっくりと、瞼を開けると見慣れない格天井がぼんやりと視界に入った。 ここはどこだろう。 声の主はだれだろう。 酷く体がだるくて、声も枯れている。 けれど、慣れ親しんだ香の香りが、政宗を再び眠りの淵へと誘う。 「……んー……」 とろりとその眠りへ落ちてしまおうとしたとき、大きな掌が、政宗の額をさらりと撫でた。 「おっと、寝ないで下さいよ政宗サン!」 「…誰…じゃ……無礼者…め……」 覚醒しきらない意識の中で、なれなれしく己を呼ぶ声に、一喝したつもりだった。 が、いつもの覇気もなくどこか甘い声になってしまっている、とどこかで政宗自身が感じていた。 「おっと。これは失礼。あなたも一国一城の主でしたね。 政宗公、お休みいただく前に、水分を取っていただきたい。」 重たい瞼を上げると、そこには精悍な顔立ちをした一人の男が覗き込んでいた。 知らない顔ではない。 だが、まだ亡羊とした意識では、記憶の中から捜し出せなかった。 「…いらぬ…」 「そうは行きません。蜜を混ぜた、薬湯のようなものですから。 苦くはないですよ。飲んでもらわないと、声が枯れたまま、喉を痛めちまいますよ。」 喉が何だ、と考えて、政宗はハッと覚醒する。 がばり、と体を起こすと、腰に激痛が走った。 「…っ……つぅ!」 「ほら、あまり無理しないで。」 差し出された大きな手に支えられて、政宗はゆっくりと体を起こした。 大きな手は、そのまま、政宗が辛くないように体を支えながら、逆の手で湯飲みを差し出してきた。 それまでの事を完全に思い出した政宗は、恥ずかしいやら悔しいやら、怒りがこみ上げるやら、 とにかくいろいろな感情に呑まれて、ぐるぐると考え込んでしまった。 何も考えられず、差し出された薬湯を受け取り、そのままゆっくりと嚥下する。 「…貴様…島、左近じゃな。」 「おや、よくご存知で。」 「三成の犬じゃ。」 吐き捨てるような政宗の言葉に、左近は困ったように首をすくめた。 「主はどうした?散々に弄んだ玩具を、今度は貴様が賜わったのか?」 自らに起こった出来事をあざ笑い、更に三成を貶める。 「確かに、あなたは強烈な色香を放っていますがね。 主の想い人に手を出すほど、餓えても無いですし、忠義が無いわけじゃないんでね。」 だが、左近のほうが大人だった。 武田信玄から策謀を学び、今は三成の右腕として、彼を支えているのだ。 経験も実績も、年齢を重ねている分だけ、政宗よりも遥かに勝っていた。 だから、政宗の自虐のような挑発にも乗らなかった。 左近には敵わない、と思ったのか、政宗は、はぁと一つ溜息を零して、支えられた大きな手に持たれて膝を抱えた。 「この香は…?」 「政宗公、この香お好きでしょう?いつもあなたから香ってくる香だ。 人間、落ち着くためには慣れ親しんだ香りが一番良い。」 左近の手は、ゆっくりと政宗の背を撫でた。 それは母が子にするような、優しさを含んだものだった。 その仕草に安心したのか、政宗がとつとつと語り始めた。 「…わしには…三成が分からぬ…」 「政宗公?」 「………怖かった……」 呟くなり、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。 「ま…政宗公!」 まさか泣かれると思っていなかった左近は、少しだけ取り乱したが、 政宗の事を思えば無理も無かった。 いくら国主で、奥州一帯を統べ、『奥州王』とその名を轟かす『独眼龍』と言えど、 性に対しては幼子同然で、それを三成が無理やり暴いたのだ。 知識として、いくら男色というものが存在すると知っていても、実際体感するのは生半可な事ではないはずだ。 泣き始めてしまった政宗を何とか落ち着かせようと、左近は殊更優しく、何度も背を撫でた。 「殿を、嫌わないでやってください。」 「…左近…?」 「あの方は、どうにも不器用な方でね。 いつも間違えちまうんですよ。天下の取り方も、友との関係の保ち方も、愛しい人の口説き方も。」 「……三成の、肩を持つのか…」 恨めしそうな政宗の声に、左近は困ったように首をすくめた。 「主ですしね、わたしはそんな不器用な性格も気に入ってるんで。 ただ、今回の殿は確かに、いけませんね。嫌がる政宗公を組み敷いた。」 「!知っておるのか…」 瞬時に頬を染めた政宗を、正直可愛いと思った。 左近ですら、そう思えてしまうのだ。三成の暴挙も分かる気がした。 「嫌わないでやってもらえませんか。うちの殿。 あんなでも、相当政宗公が怖いんです。」 「わしが、怖い?」 「正確には、"政宗公に嫌われるのが"ですが。」 「なんじゃ、それは。」 見上げれば、大人の男が困ったように政宗を見下ろしていた。 今のこの状態に少しだけ居心地の悪さを感じる。 政宗とて、一国を預かる国主だ。 その政宗が、秀吉子飼いの、さらにその部下に抱きとめられ、介抱されている。 羞恥がさぁっと政宗の頬に朱を差した。 「自分のしでかしたことで、政宗公が口を聞いてくれなくなる、とか、 目もあわせてくれなくなる、とか、餓鬼のようなことを言って、ちっとも執務がはかどらないんですよ。」 「そんな事!…わしの知ったことではないわ!馬鹿め!! そもそも、そんな事をしでかした三成のせいじゃ!わしのせいではない!!」 政宗の言葉に、もっとも、と左近は頷いた。 「だから、ね。政宗公。」 「…政宗、で良い。」 何故か、どこか憎めない左近の性格に、だんだんと政宗が心開いてゆく。 「じゃあ、政宗サン。」 「…なんじゃ。」 ぶっきらぼうに答えると、左近が優しく微笑んで政宗と視線を合わせた。 「殿の事、許さなくて良いんです。ただ、嫌わないでやってください。」 「……意味が分からぬ。」 「殿はね、大好きな政宗サンに嫌われるのが、死ぬほど厭なんです。 でも、どうやって政宗サンに気持ちを伝えて良いのか、分からないんです。 だからあんな暴挙に出てしまった。」 「…三成は莫迦か?"好きだ"と素直に一言、言えば済むことではないか。」 唖然としたように、政宗は左近に答えた。 それを左近は好ましく思う。 政宗の性格なのだろう。酷い事をされたはずなのに、もうどこかでは、三成を許してしまっているように見える。 「そうなんですけどね。 政宗さんは、心から好いた人を前に、素直に『好きだ』と言えますか?」 政宗は答えなかった。否、答えられなかった。 誰かを好きになったことなど無いからだ。 親が決めた妻は美しく、芯の確りした女性ではあるが、戦続きの中、話をすることすら侭ならない。 それに、妻だけでなく一夜限りの伽を、と申し出てくる女も男も、どれも政宗の眼中には無かった。 そんな政宗の心情を読み取ったのだろう。 左近が先回りをして話を続けた。 「うちの殿はね、素直じゃないんですよ。 言いたいのにいえない。好きなのに虐めてしまう。不器用な上に素直じゃないから手に負えない。」 「…苦労するじゃろうな、お主。」 「えぇ。でも、わたしは殿の事が好きです。 だから、こうして政宗サンにもお話しています。」 「……三成を、嫌うな、と?」 「えぇ。これは左近からの勝手なお願いなんですが。」 「…なんじゃ。申してみよ。」 ここまで自らを介抱してくれた左近の願いを聞き届けてやりたかった。 それは、政宗がかなり左近に気を許し、心を開いている事を意味した。 「きっと、殿は怖くて政宗サンから逃げまくると思うんです。 もしも、三日たっても殿の方から謝罪に行かないときは…」 「わしの方からきっかけを作れ、と。そういう事か?」 珍しく、言い篭った左近の先回りをして、回答を出せば、左近が嬉しそうに笑む。 「そう、その通りですよ、政宗サン。あなた、相当賢い方だ。」 「わしに惚れたなら、今の主人を見限ってわしの下へ来い。いつでも歓迎する。」 にやり、と龍本来の表情を取り戻した政宗は、左近に約束をした。 「面白い。お前達の主従の絆の深さ、見させてもらおう。 もし本当に、三成がわしを避けるようであれば、三日後、わしの方からきっかけを作ってやる。」 「ありがたい。左近も、この三日、何とか一人で執務を回してみせますよ。」 左近の安堵しきった表情に、政宗は本当に、三成はどうしようもない主だ、と思うのだった。 次頁 |
左近が登場。 三成をフォローしまくりですが、政宗の事を憎からず思っている感じで。 不器用な主人と、政宗が上手く行くと良いなーなんて、考えています。 ツンデレ同士ですから。間に入らないと! |