想いは深く、道を違える程に。 食事を終えると、その日も、政宗の部屋に訪れた。 純白の夜着を着て、布団に包まっていた政宗を、背後から抱きしめる。 今日は夕餉の事もあり、手ひどく抱くつもりはなかった。 優しく優しく、政宗の体を抱きしめ、ただ眠りにつく。 布団の端を持ち上げて、体を滑り込ませれば、少しだけ政宗の体が身じろぐ。 抱きしめて、両腕に囲ってしまうと、政宗の温もりと、香りがあっという間に幸村を眠りへと誘った。 ぐずぐずと身体が溶けてゆく感覚。 意識はぼんやりとして、体は酷く重たい。 眠りに落ちる寸前のような状態。 けれどそこまで酒精を浴びた訳でもなく、疲れが溜まっている状態でもなかった幸村は、 霧散しそうになる意識をかき集めて、取りとめも無く一日を振り返る。 酷く眠たい。けれど、眠ってしまうのは惜しい。 政宗が、幸村の腕の中で眠ることが無いのは知っている。 だから幸村もなるべく気配を殺し、ただ、政宗を感じていたかった。 睡魔とも思えるような、酷く気だるい感覚に抗っていると、再度、腕の中の政宗が身じろいだ。 背を向けたまま、今まで決してこちらを振り向いたことの無い政宗の瞳が、こちらをヒタリ、と見つめている。 「……幸村……」 (嗚呼、これは夢か…政宗殿が、わたしの名を呼んでいる。) 久しぶりに聞いた、政宗の声。 遠慮がちで小さな声だったけれど、たしかに「幸村」と。 一体何時振りなのだろう。もう思い出すことも出来ない。 つい半年くらい前の事なのに、何十年も聞いていなかったような気がした。 戦で戦っていたときも、お互い声を掛けることは少なく、こうして名を呼ばれるなど、滅多に無かったことなのに。 「幸村…」 (政宗殿…) 再び囁かれるように呼ばれ、政宗の呼びかけに応えたいのに、身体が、瞼が、意識が重く、叶わない。 口を動かそうとするが、上手く行かずにもどかしい。 そんな幸村を知ってか知らずか、政宗の細い指先が、幸村の頬を優しく撫でた。 (やはり、これは夢だ。 政宗殿がわたしに触れるなど…なんて都合の良い、夢…) 優しく頬を撫でる指は、躊躇うようにゆっくりと鼻梁を通り、幸村の前髪を掻きあげた。 「おぬしが、本当に酷い奴であったなら、嫌うことが出来たなら、 こうも苦しくは無かった…。」 (…政宗殿…?) 「おぬしが、城外に出るたび持って帰る土産、実は楽しみにしておるのじゃ…。 おぬし、少々、少女趣味が過ぎるようじゃがな。」 ふっと空気のこぼれる音がする。 政宗が、女中経由で贈られた、幸村からの贈り物の数々を思い出しているのだろう。 「丑の刻参り用のわら人形を渡されたときは、一体なんの冗談かと思ぅたが…。 おぬし、馬鹿なのじゃな。」 (…丑の刻参りのわら人形…?はて…そのようなもの…) と、蕩けそうな思考で思い返す。そしてそれはすぐに思い至った。 その日は馬で城外へ出て、少し遠くのほうまで足を延ばしたのだ。 見かけた神社に寄り、見つけた人形が愛らしかったので、土産としたのだが…。 (そうか、あれは丑の刻参り用の人形だったのか…だから、社の側には五寸釘も一緒に…) 「普通はな、買う前に気づくぞ?」 くすくすと、政宗が笑っている。 幸村の事で。 本当に、これは夢かも知れない。 楽しそうに話す政宗など、幸村が見たのは一体どれだけ振りか。 そういった、一種感動に近い感情を味わっていると、 政宗から忍び笑いが消えた。 変わりに、ぱたり、と幸村の頬に温かい何かが落ちた。 (泣いておられるのか、政宗殿…) 酷く真剣な声音で、声量もかなり抑えた声で、囁かれた。 夜半の、周囲が寝静まった空気の中ですら、聞き取り辛いくらいの、囁き。 「…わしは、きっと、そういった、馬鹿なおぬしが好きじゃ。 まこと、夫婦になれたなら、どれだけ幸せじゃったろうな…。」 ぱたぱたと、今度は一度に数滴、幸村の額と、瞼に落ちてきた。 「お前の腕の中は心地良い。 ずっと、この腕の中でまどろんでいたくなる。 お前の欲深い愛情と、この腕に抱かれ、溺れて、どこまでも堕ちてしまいたくなる。」 (政宗殿…それは…まことでしょうか…。 もしも、これが現でないのならば、わたしは、なんと自らに都合の良い夢をみているのか。 ここまで自らに甘い、浅ましい人間であったのか…。) 幸村の胸中はお構い無しに、政宗の独白は続く。 幸村の髪を優しく何度も梳きながら。 「…じゃが、おまえに身を任せること、叶わぬのじゃ。 抱かれる度、わしを苛む父と、弟の声が、聞こえる。耳を離れぬ。」 また温かい滴が幸村の頬を濡らした。 やはり政宗は静かに泣いているようだ。 (嗚呼、抱きしめて差し上げたい。泣くのなら、この幸村の胸で泣いてくだされば良い…。) 鉛のように動かない体をもどかしく思いながら、 政宗に触れようと腕を伸ばすのだが、神経が切れてしまったかのように、 脳内の命令は体へと伝わらなかった。 「幸村。苦しめて、すまない。赦して欲しい。」 (赦していただきたいのは、わたしの方です。政宗殿… あなたから、全てを奪ったのは、他ならぬわたしなのだから。) 「一時は恨みもしたが、おぬしの誠実さ、ちゃんと、伝わっておる。じゃから…」 黒く、流れる滝のような房が、行く筋も幸村の身体に触れた。 さらさらと、綺麗な髪の毛が触れ、政宗が吐息が触れ合うほどの距離に居ることを知る。 瞼を開くことさえ出来ない、今の幸村には視覚で確認することは出来ないが。 政宗からの一言は、霞がかった意識を一瞬、覚醒させた。 「じゃから、悲しむのは止せ。わしはお前を好いておる。 …おそらく…愛して…おる。それゆえ、苦しむお前は見とうないのじゃ。」 (政宗殿…) 「赦せ、幸村。 伊達政宗として生きると決めた、自らの決意を曲げることはできぬ。 父のため、弟のため、伊達家のため。 他ならぬ、自らのため。 …じゃから、お前の妻になることは、出来ない。」 ―――それでも、おぬしを、愛しておるのじゃ。 言葉とともに、幸村の唇に柔らかいものが触れた。 そっと触れてほんの少しの間とどまり、すぐに放れていった。 熱も移さぬ、数度の瞬きの間だけ。 触れ合った唇の感触が、何時までも何時までも、幸村の中で反芻された。 (…政宗殿…) もう一度、手を伸ばそうとしたところで、幸村の意識は完全に途切れた。 「幸村…。お前の想いに流されて、"伊達政宗"が"愛"に戻ることなど、あってはならぬのじゃ。 お前が苦しむのも、くのいちが苦しむのも、もう見とうない。 のぅ…?わしに、選べる道はもう無いのじゃ…。赦せ。」 だから、幸村には、この堅い政宗の信念の言葉を、聞くことは無かった。 次頁 |
ようやく、幸村が報われそうな雰囲気に。 結末は変わらないのですが、それでも、今までの酷さに比べたら…ね? もっと温かい、ふわっふわな二人が書きたいです。 |