「くのいち。わたしは、過ちを犯そうとしている。
それでも、今これ以外の方法が、思い浮かばないのだ。
全てを承知の上で、わたしに力を貸してくれないか?」





鬼哭





「幸村さま…」
「後悔するかも知れない、だが、わたしには今このときしか…」
「幸村さまが望むなら、アタシは、全力でお手伝いします。」

たとえ、それが間違ったことでも、と続け、くのいちは幸村を見上げた。
幸村の視線は今、くのいちではなく、遠く、煙を上げる戦場へと向いていた。
土のものとも炎のものとも言える煙。
立ち上る光景は、天に竜が昇るようにも見える。
それはまさに、幸村が欲するもの。

幸村の忍として生きることを誓い、幸村の忍としてその命を全うする事に誇りを、命をかけるくのいちに、
どうして幸村の願いを断ることができるだろう。

何を犠牲にしても、何を敵に回しても、幸村の命を全うする。
それがくのいちの誇り。

「いくぞ。」
「……はい。」

軍馬の腹を蹴り駆け出す幸村に、くのいちは小さく頷いて、
枝葉の間を縫うように音もなく続いた。





「政宗殿!貴殿をここで止める!」
「幸村か!ふっ…お前にわしが止められると思うか?!」

好戦的に笑う龍。
銃を構える姿は、未だくのいちを察知しておらず、全神経を幸村ただ一人に集中していた。
それが、幸村にとってどれだけ嬉しく、激しく高揚することか、政宗は知らない。

幸村が密かに寄せる、政宗への深い恋慕の情は、『今、幸村だけを捉えている』事を何よりも嬉しく感じている。
そしてそれ以上に望むのだ。

龍が欲しい―――。

と。
日ごと、深くなる想い。
日ごと、酷くなる独占欲。
恋慕と呼ぶには遠く及ばず、情念と呼ぶほどに、想いは深く深く、幸村の心に根を張っていた。

根を張った想いは遂に、今、この場で龍を手に入れようとするほどに歪んで、捩れてしまった。
もう戻れないのだ。
今日この場で、"伊達政宗"は消える。
くのいちは、忍びながら、手にしたクナイを再び強く握り締め、そっと息を整えた。

幸村の槍が一閃し、政宗を横に薙ぐ。
しかし案の定、難なくかわされ、逆に政宗が幸村に発砲する。
不安定な姿勢からの跳躍、発砲は忍も脱帽の俊敏性だ。

反るように中空を跳び、それでも違えず幸村を捕らえる銃口。
幸村も何とか銃弾をかわすが、至近距離の発砲に、一部腕を掠ったようだ。
焼けるような痛みに顰められた顔、鎧が傷つき、血が滲んでいる。

反動で幸村がよろけ、姿勢を崩すと、時機を違えず政宗は着地と同時に抜刀し、その切っ先を幸村に向けた。
喉元へ向けられたその剣先を、くのいちがクナイで弾き、幸村を守った。
幸村を守ったすぐ後に、くのいちは間髪入れずに第二戟を放つ。
クナイの軌跡は一直線に政宗の足元へ向かってゆく。

驚いたように政宗が振り返り、そして、逆に姿勢を崩した体は地へと倒れこんだ。
それを好機と見た幸村が、そのまま政宗の体を地へ押さえ込む。
これで、勝負が着いた。
くのいちは、これ以上、主の色事に関与しないよう、その場を後にした。

その場を後にする前に一瞬視界に入った、満面の幸村の笑顔、歯噛みする政宗の表情。
幸村を見、怯え、怖れを露わにする政宗の表情を、
くのいちはもっと良く見るべきだった、と、後々後悔する事になる。





戦の勝敗は決した。
敵方の大将も倒れ、参陣していた敵将の一人、政宗の不在の報も届いた。
幸村の思い描いたとおり、政宗は幸村の手に落ちたようだ。
しかし、本来、政宗を捕縛し戻ってくるはずの幸村の戻りが遅い。

心配になったくのいちは、幸村と政宗を残してきた場に戻った。
そして、そこで凄惨な現場を目撃する。

「…っえ……な…んで……?!」

その場に、幸村の姿は無かった。
だが、沢山の骸の中に、幸村の着物をかけられた半裸の政宗の姿があった。
激しく抵抗したのだろう、顔も体も傷だらけの状態だ。

具足は散乱し、上等な着物や陣羽織は一部裂かれて、散らばっている。
政宗の口には、幸村の赤い鉢巻きが詰め込まれており、気を失いつつも、苦し気に浅い呼吸を繰り返しているのが分かる。
この場に幸村が居ないことを不審に思いつつも、くのいちは政宗にそっと近づいて、驚愕の声を上げた。

「おんなのこ……?」

嘘、と呟いてくのいちは口元を押えた。
では幸村は、政宗を女と知った上でこの場で陵辱したのか。
しかもこの状態で放置したのか。
いかな主と言えど、限度を越えている。

戦とは別の血と体液に濡れ、申し訳程度の着物の残骸の上に寝かされている政宗の姿。

流石に色をなくしたくのいちに、背後から幸村が声を掛けた。

「くのいち」
「っっ!!」

忍であるのに、幸村の気配を察知できずに、くのいちはビクリと肩を揺らし、振り返った。
辛そうな顔でその場に立つ幸村の手には、着物を裂いて作ったのであろう布切れが、水に濡らされて握られていた。
近くを流れる沢の水で浸してきたのだろう。

「……すまぬが、そなたが、清めてやってはくれぬか……」
「幸村さま…」
「最低だな、わたしは。政宗殿がおなごと分かった時点でやめるべきであった。」

けれど、止めることが出来なかった、と。呟いて俯いた。
片手で顔半分を覆い隠す幸村。
暴走した想いが招いた、末路。
けれど、くのいちだとて、幸村がここまで切羽詰まっているとは思っていなかった。
ましてや、あの奥州の王が女性であったとは知る良しも無い。

主を責めることなど、出来るはずがなかった。
くのいちは、幸村からそっと布を受け取り、政宗の体を清めていった。

幾筋も残る涙の痕に、くのいちはかつて無いほどの胸の痛みを感じた。

持っていた傷薬を、丁寧に政宗の体に塗っていく。
白い肌にいくつもの傷。古いものから、今出来たばかりの、血の滲んだものまで、沢山あった。
大名の姫として育てられたのであれば、出来るはずも無い、沢山の傷。
きっと今までにもいろいろとあったのだろう。
けれども政宗は、"伊達政宗"として、奥州の王としての地位も認知度も築いた。

しかし、地位も名誉も"伊達政宗"という名も、今日その全てが壊れた。
その計画に自分も手を貸した。

今まで、幸村の忍として、誇りを持って仕事をこなしてきた。
だが、今日は違う。
今日ほど後悔したことはない。
今更悔やんでも遅い。政宗に詫びることも出来ないし、詫びたところで赦される筈も無い。
だからせめて、今この場で目覚めて凄惨な状況を見てしまわぬように。

くのいちは幸村にも分からないように、塗り薬とともに麻酔を施した。
体に悪いものではない。傷口から徐々に体に回り、二刻ほど深い眠りに落ちるだけ。



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コワレテシマエのくのいち視点。
かなり酷い状態でっす。

はじめは、くのいちって「マジすか」ってくらいキャラ設定に驚きましたが、
今では幸政に無くてはならないエッセンス的な感じです。
そして、雲はくのいちが好きだったりする。