コワレテシマエ 転





愛姫が、政宗だと知れた後も、幸村は何の変わりもなく兼続を歓待し、
兼続が望めば政宗との面会も許した。
いくら政宗が望もうと、愛と義を重んずる兼続が政宗を手に掛けるはずはない、と
高を括っているのかも知れないが、現に兼続には、政宗の望みをかなえてやる事は出来ないのだ。

殺してやる事も。
奥州の地を還してやる事も。
そのどちらも、もう兼続には出来ない。

だが、以前と変わらぬ兼続の応対が嬉しかったのか、日ごと、政宗の気力が回復していくように思われた。
率先して台所に立つようになり、兼続に手料理を振舞う。
女中達と楽しそうに話をし、料理や裁縫をする政宗。
そして、幸村不在の折には自ら刀を持ち、勝手に部隊の稽古をつけたりもしていた。

「姫様…!」

おろおろとする女中に「平気じゃ」と闊達に返し、
防戦一方の兵に向かって何度も竹刀を叩き込む。

「どうした!防戦一方とは情けない。
貴様、それでも兵士か。笑わせおるわ!」
「し…しかし、愛様…っ!」
「ふん、おなごと思ぅて油断しておると、痛い目をみるぞ。」

長くなった髪を頭上高く結上げ、着物に袴という姿ではあるものの、
その雄姿は、戦場を駆け巡った政宗のようだった。
奥州王と謳われ、独眼竜と渾名された、小さき竜。
兼続は荒んだ政宗を見ていただけに、今の状態は非常に良いもの、と解釈していた。
少しでも、己と話をする事で政宗のつかえが取れたなら。
そう思わずにいられない。

「兼続!こやつらでは相手にならん。
久しぶりに、仕合おうではないか?」

挑戦的な誘い文句に、兼続は笑って濡れ縁から立ち上がった。

「良いだろう。直江兼続が相手になる。」
「ふん。吠え面かかせてやるわ!」
「それは、お前だろう、山犬?」

お互い、不敵に笑む。
そして構えたところで、政宗の前に小柄な女が降り立った。

「ちょぉーっと、タンマ!」
「…なんじゃ、くのいち。」

明らかに機嫌を損ねた感の政宗に対し、くのいちが政宗の鼻先に指を突きつけた。

「黙って見てたケド、それ以上はダーメ!
肌に傷でも作ったら幸村様に怒られるの、アタシなんだからね。」
「なんじゃと?」
「下っ端ならまだしも。兼続さんと遣り合って、無傷で済むはずがないでしょ。」

まだ政宗が何かを言おうとする前に、くのいちはくるりと兼続を振り返った。

「兼続さんも!一応、政宗さんは女の子なんだから。
軽々しく戦うとか、止めてくださいよね!そうじゃないと幸村さまに殺されちゃうよん?」

指先をくるくると兼続の鼻先で回して見せて、
くのいちは政宗から竹刀を奪おうとする。
しかし、させじと体を捻り、抵抗する政宗。

「くのいち。今まで男として戦場を駆けてきたのじゃ。
今更傷の一つや二つ、付いたうちにはならぬ!」
「政宗さんは女の子なの!せっかく綺麗な肌なのに、もったいない!
幸村さまが許したって、これ以上の傷は、アタシが許さないんだから。」
「なんじゃそれは!」
「あぁもうホラ、もうすぐ幸村さまが帰ってくるから。
湯浴みして、お着替えしてください!」

政宗の背後に回り、その背を部屋へと押す。
むぅっと顔を歪めるが、大して抵抗するでもなく、政宗はその力に従った。
だが、少しだけ兼続を振り返って、置き去りの兼続へ駆け寄ってきた。

「次は、くのいちの見張りがない時に仕合おうぞ!」

兼続の手をしっかり握った後、政宗は部屋へと戻っていった。
「いくぞ、くのいち!」と声を掛け、くのいちに竹刀を渡す後ろ姿。
そして、兼続の手の中には、政宗からひっそりと渡された、丸められた料紙があった。



くのいちの他に、見張りが付いていないとも言えない。
兼続は、慎重に周囲の気配をうかがいながら、濡れ縁に座った。
庭を眺め、自然な仕草で腕を組み、政宗から渡された料紙を袂へ落とし込んだ。

暫く、側に置いてあった茶を啜ったり、庭木を眺めた後、
現在滞在している客間へと引き上げた。

上杉の家老である自らが、長く国をあけるわけにもいかない。
今の政宗の様子は非常に落ち着いて見え、安心していた。
兼続としてもこれ以上、上田城に逗留するつもりは無く、そろそろ幸村にその旨告げようとしていた矢先。

息を詰めて、そっと袂から丸めた料紙を取り出す。
皺を伸ばすように広げると、そこには綺麗な政宗の筆跡。
隣国同士で、主・上杉景勝と政宗が書状のやり取りをしていたことを知っている。
そして、その手紙を見たこともある。
その見知った筆跡に目を通した。

『この城のどこかに、わしの戦装束と武器がある。
探し出して、わしの前に一揃え揃えよ。
それが、おぬしに出来る償いぞ。』

この文を見て、兼続の背にゾクリとした冷たいものが走った。
政宗は、赦してはいなかったのだ。
身を穢した幸村を、それを機に、伊達家を、領地を奪った兼続を。

このところ、持ち直していると思っていたのは、すべて政宗の演技だった。
『訓練』と称して兵士と剣を交えるのも、衰えた筋肉を鍛えるため。
ただ、訓練だけでは怪しまれる。
だから、台所に立ち、女中と会話しながら料理をしたり、
部屋で裁縫や貝合わせ、女が好む遊びに興じて見せたのだ。
すべては、兼続という駒に武器を捜させるため。

「…良く、心得ているな…。」

兼続は皮肉気に口元を歪めた。
"償い"そう書かれてしまっては、兼続にこの文の内容を拒否することは出来ない。
さすが、奥州の王。
卓越した手腕は今も健在のようで、どこか安心する。

女の政宗も素晴しいが、やはり、政宗はこうでなくては。

兼続は料紙を丸めると、再び袂にしまいこんだ。
夜の帳が降り、下男が火を持って回ると、兼続はその行灯の炎に料紙をかざし、燃やした。





「幸村、私はそろそろ国に帰ろうと思う。」
「なんじゃ、もう帰るのか?」

兼続は、幸村・政宗との夕餉の席で、辞去を申し出た。
それに政宗が名残惜しそうに答える。
兼続が来てから、徐々に元気を取り戻した政宗は、
今では何とか幸村とも会話し、食事をともにするようになった。
事情を知る兼続から見れば、それすらも政宗の姦計に映り、思わず笑ってしまいたくなるのだが。

けれど、政宗の表情は明らかに曇る。
当然だ。兼続は未だ、政宗からの"償い"を果たしてはいないのだから。

「政宗殿、あまりご無理を申されては…。
兼続殿も国を長くをあけられぬ身なのですから。」

苦笑する幸村に、政宗は拗ねた表情を作る。

「ならば、今日は呑もうではないか!わしが肴を作ってやる。」
「政宗が?」
「わしの腕は知っておろうが。」

やる気満々の政宗を止める気は、幸村には無いようで、
それならば、と取っておきの酒を準備するように、早速女中に言いつけていた。

「どうせならば、幸村の部屋で呑もう。」
「わたしの部屋で、ですか?」
「なんじゃ、問題でもあるのか?」
「仕方ない方ですね。」

普通に話をするようになった政宗の態度が余程嬉しいのだろう。
幸村の目尻は下がりっぱなしだ。
結局、夕餉もそこそこに、政宗は台所で女中達と簡単な肴を用意し始めた。

その間、幸村と兼続は幸村の部屋へと移動する。
政宗も入ったことが無いという、幸村の部屋。
政宗の戦装束、武器一式があるとしたら、この部屋だろうことは、
兼続も当たりをつけていた。

どのように幸村の居室に入るべきか、考え込んでいたものだが、
政宗が同席している上でならば、切れる頭で何かしら切り出してくる、と信じての辞去申し出。
予想に反せず、一計案じてきた政宗に、兼続は内心、笑いが止まらない。

(政宗は、こうでなくては。
さめざめと泣く姿など、竜ではない。)

幸村の部屋に通され、まず目に入ったのは、床の間に飾られた一振りの刀。
それは政宗愛用の倭刀。
やはり、と兼続は胸中呟くが、気にせず幸村の部屋へ入る。
幸村もさり気なく床の間の刀をそっと隠した。

そして、政宗がやってくる。
その手に酒肴の膳を持ち、ずかずかと部屋に入ると、てきぱきと膳を並べた。

「どうしたんじゃ。二人とも突っ立って。
早よぅ座らぬか。せっかくの料理が冷めてしまう。」

背中で結わえた髪がゆらりと揺れた。
薄い桃色の着物の袖がひらりと翻る。

(…政宗。お前が"償い"と言うのであれば、
見事お前の前に戦装束と武器、一式そろえて見せよう。
その後お前がそれを使ってわたしを討とうとも、わたしは恨まない。
むしろ、わたしを討つことはお前の権利でもある。)

これから始まる酒宴に、兼続は腹を据え、腰を落ち着けた。



二刻ほど、他愛ない話をしながら酒を飲んだ。
政宗が独眼竜として奥州を治めていた当時の…幸村が、政宗を手折る前の話は、
暗黙の了解で禁句ではあったが。
それなりに楽しく、時は過ぎてゆく。

そして、酒に弱い政宗がとろりと幸村の腕に倒れこんだ。

「政宗殿。度を越されるなど、珍しいですね。」
「…うるさいわ…わしとて、こういう時もある…。」

不覚、と唇を噛み、幸村の腕から起き上がろうとするが、へなり、と再び腕の中へ。

「口惜しい…。酒にも弱くなったか。」
「政宗殿は、元から酒には弱かったでしょう。今日ははしゃぎ過ぎたのでは?」
「…黙れ、馬鹿者め…」

酒を飲む兼続の前で展開される、夫婦喧嘩と呼んで良いものかどうか迷うが、
二人の会話に、ふっと笑む。

「先に休まれては。お部屋にお連れいたします。」

少し席を外すがよろしいか?と問われ、兼続は頷いた。

「ふん。兼続よ、お前、きちんと役目は果たすのじゃぞ。」
「山犬に言われるまでも無い。
お前こそ、少しは女人らしく振舞うんだな。」
「最後の最後まで、言いおるわ。…明日には発つのか?」
「そうだな。明日には。」
「…そうか…」

幸村に抱えられながら、名残惜しそうに政宗は部屋を後にした。
が、幸村からは見えぬ角度から、しっかりと兼続を睨みつけていた。
政宗が作った好機、逃すことは赦さじ、とその瞳は語っている。

役目とは、国での家老という役目ではなく、戦装束と武器を探し出すことだ。

このとき、すべては、政宗の手の内で回っていた。
幸村と政宗が部屋から出て行った後、兼続は"不義"だと思いながらも、
幸村の部屋を物色し、倭刀・二挺の拳銃、
そして、政宗の深い緑があしらわれた戦装束一式を見つけ出した。




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幸村 → 政宗(♀)+ 兼続
兼続の登場により、元にもどる政宗さま。

幸村がちっとも喋らせてもらえていません。。。