コワレテシマエ 昇龍





「……見事じゃな、兼続。」
「お前に言われるまでも無い。」

酒宴の席もお開きとなり、兼続は自室に戻ると暫くして、政宗のもとへ訪れた。
幸村の酒肴には、政宗が一服盛っており、今頃、深い眠りについているらしい。
おかげで、兼続は周囲を気にすることなく、大きな荷物を抱えて政宗の部屋に訪れることができた。
兼ねてから政宗は、必要最低限の使用人しか側に置こうとしなかったし、
幸村の訪問が頻繁であったせいもあって、警備は手薄だった。

室内は広いが、行灯の数は少ない。
兼続が入ってきた襖はピタリと閉めたのだが、室内の障子がうっすらと開いている。
おそらく、政宗が外を眺めていたのだろう。

兼続の訪問を予期していた政宗は、わずかな足音に気づき、部屋の中央で立って待っていた。
満足気な政宗の目の前に揃えられた、武器と戦装束。

二挺の銃は、丁寧にも埃が取り払われ、銃や引き金など、手入れがされおり、すぐに使える状態だった。
竹に雀の家紋が打ち出された鎧、漆黒に深緑の配色、金糸で施された刺繍の陣羽織。
そのどれもが懐かしい。

その感触を確かめるように、政宗のほっそりした華奢な手が、武器に触れる。
触れた瞬間の、安心したような、穏やかな微笑。

「政宗。その武器でどうするつもりだ。幸村を討ち、わたしの首でも獲るか?」
「ふん。馬鹿に口で説明したところで無駄じゃろう。
お前はもう国に帰るが良い。用済みじゃ。」

言うや否や、政宗は鞘から刀を抜き去った。
室内に、しゅらり、と刀身が鞘を滑る音が響く。
薄く開いたままの障子の隙間から差し込む月光を、
その刀身に反射する銀色の光は、政宗の隻眼を妖しく照らし、美しい容貌を更に妖しいものにする。

「政宗、武器を取って、何をする気だ…」

兼続はもう一度呟くと、次の政宗の行動に目を瞠った。
政宗は、片手で無造作に背中の房を掴むと、その房に刃を当てて、乱暴に刀を引いた。

じゃりじゃりと不愉快な音が部屋に響き、
水のように流れる綺麗な黒髪が、畳の上にばさばさと落ちてゆく。
無造作に、乱暴に切り落とされてゆく髪。
適度な短さに満足したのか、政宗は刀を畳みに突き刺した。

「出てゆけ、兼続。わしは着替える。」
「政宗…お前まさか…」

弓月の前立ての兜を手に取り、政宗は猫のように目を細めた。

「知っておるか、兼続。羽衣を奪われた天女の話を。」
「…………知って…いる……」
「羽衣を返せば、天女は天に還るものじゃ。竜とて同じよ。」
「政宗…」
「ただ、天に還るだけの天女と、嬉々として雷鳴を轟かせ、天に昇る竜とは、違うがな。」

不敵に笑む政宗。
そのまま、兼続が目の前に居るのも構わずに、背を向けて着ていた夜着を肩から落とした。
月夜に浮かぶ、白く輝くような体。
惜しげもなく晒される裸身に、兼続はただ息を飲む。
決して肉付きが良いわけでもなく、女人としても、男としても華奢な体。
その白い肌には、無数の刀傷、銃創が残っている。

それでもなお、中性的な体には、欲をそそられるものがあった。

乾いた布と、帯の音。
そして、具足を付けてゆくための金属音。
兜の緒を締めれば、そこには一人の若武者が立っていた。

「…長かった…。無為な時を過ごしたものよ。」
「政宗…お前…」
「伊達家の復興は成る。わしがいればな。」

今はもう、篭手に包まれた華奢な手が、同じく鎧に包まれた胸に当てられた。
女性として、子供を遺す能力も、他の大名と対等以上に渡り合える卓越した政治手段もある。
確かに政宗さえ無事なら、伊達家の復興は成るだろう。

「ご苦労じゃったな、兼続。おまえの"償い"確かに受け取った。」

鮮やかに、笑う。
目の前に立つこの人物は。
真田幸村の妻、愛姫ではない。
まさしく独眼竜・伊達政宗だった。

「次は、わしの国を返してもらうぞ。そして掴むは、天下よ。」

胸に当てていた手を、そのまま握りこみ、突き立てた刀の柄を取った。

「兼続。早よぅ失せぇ。このまま、死にたくなくば。」
「何をする気だ。」
「…知れたこと。まずは、幸村を血祭りに上げるまでじゃ。」
「夫として、ともに過ごした日々は、お前の心を解くことは出来なかったのか?
わたしが滞在していた、この暫くはお前も幸村に心開いていたのではないのか?」

座していた姿勢から、思わず立ち上がり、兼続は政宗の肩を確りと掴んだ。
陣羽織に包まれた体は女性とは言え、堅い。
政宗の堅牢な心を表しているようだ。
全てを拒絶する、鎧。

「戯言を。地に繋ぎとめられた竜が欲っすは、大地を揺るがす雷鳴よ。夫などではない。
全ては、この時、この瞬間のための演技じゃ。おぬしとて気づいておったじゃろう?
そも、あの下衆が夫じゃと?笑わせおる。」

所詮、奴は盗人と変わらぬ。畜生と変わらぬ。

そう続け、刀の切っ先を兼続の喉元に当てた。
ギラギラと輝く刀身。まるで今の政宗の眼光そのままに。

「真田幸村の償いは、これからじゃ。
奴の血肉を持って、わしを貶めた償いをさせる。」

告げた政宗は、兼続をその場に残し、部屋を後にした。
呆然と兼続が立ち尽くしていると、城には火が放たれていた。
慌てて幸村の部屋に駆けつけ、火元と思しき室内を見渡す。
すでに炎の海と化した室内には、政宗が一人立っていた。
その手には、幸村の首級が無造作にぶら下げられている。

滴る血の赤。
部屋を焦がす炎の赤。
照らされる政宗の、幸村の頬の赤。

「…これで、ようやく逝ける。」

劫火のうねりの中、その声はどこまでも鮮明に届いた。
凄絶な竜の最期。
どこか恍惚とした、安堵の表情をした政宗と、炎の海。
その光景は兼続の脳裏に深く深く、焼き付けられた。

火の勢いが強すぎて、室内に佇む政宗を救い出すことは出来なかった。
なんとか、兼続は、燃え盛る城から脱出すると、喧騒にまぎれ、闇夜に立ち尽くすくのいちを見つけた。
近づいた兼続に気づいているのだろう。
側に寄れば、声を掛けるまでもなくぽつりと呟き始めた。

「幸村さまは、ずっと後悔してた。
政宗さんを、無理に妻に迎えたこと。いつかこうなることも、解かってて…。
それでも一緒に居たかったんだって。」
「そなた…」
「政宗さんは、アタシと同じ。
大切にされるばかりではダメなの。誇りを奪われては、生きてはいけない。」
「誇り、とは?」
「政宗さんの場合は、奥州の王、伊達家当主、伊達政宗としての、矜持。」
「そなたの誇りとは?」
「アタシの誇りは、一生幸村さまの忍でいること。」

城の炎を消そうと騒然となる周囲に比べ、落ち着き払ったくのいちの、兼続はその華奢な体を見下ろした。

「ねぇ、愛の形っていろいろあるけどさ…。
どうにもならなかったのかな、あの二人は。
政宗さんも、幸村さまの事、好きになっていたと思うんだけどな。」
「…今となっては、もう分かるまい。
そして、それを知ろうとすることは、少々無粋かもしれないな。」

政宗は、伊達政宗として、生き・死ぬことを望んだ。
幸村は、どんな形でも政宗を手に入れたかった。

目の前の光景は、その結末の一つにすぎない。

周囲には、幸村と政宗を心配する家臣たちの姿。
城主とその妻は炎の海に消えた。家臣達の今後は、上杉で見ようと、兼続は考えていた。
幸村との友情の証、政宗への償いの一つとして。



(お前達は、これで満足したのか…?望みは、叶ったか?)










幸村 → 政宗(♀)+ 兼続
幸村と無理心中。曽根崎心中。(違)

結局最期は、幸村は政宗の願いどおり、自ら首を差し出しちゃいます。
この二人のやり取りは、別に書きたいと思っています。