コワレテシマエ 絶 「幸村、お前が妻に迎えたという姫に、今日は会えるのか?」 「兼続殿…えぇ、そのつもりではいますが。」 「なんだ、歯切れが悪いな。」 「なかなか機嫌を取るのが難しいのですよ。」 苦笑する幸村に、兼続は気に留めた様子もなく、案内されるまま城内へ赴く。 そして、城内でも一番奥の間に通された。 (幸村は、余程この姫が大事と見えるな。) 兼続は、朴念仁だとばかり思っていた幸村が、初めて垣間見せる執着を見て これから会う姫に期待感が高まる。 幸村をこれほどまでに捕らえて放さない姫君とは、一体どれほどの女人か。 ゆっくりと幸村の手により、襖が開けられた。 広い部屋の中、簡素ではあるが、品良くまとめられた部屋の中央。 そこには、両手指先を付き、頭を下げた姫が居た。 さらさらと流れる髪は緩く後ろで一つに結われ、綺麗な曲線を描いている。 萌黄色の内掛けの裾には、紫の花がいくつも染め上げられていた。 幸村にはこういった、着物や帯などに造詣が深いとはいえない。 おそらく、誰かが見繕ってこの姫に合わせているのだろう。 顔は見えずとも、指先にまで神経の行き届いた礼のとり方は、一目見て地位も教養もある姫だと見抜くことが出来た。 「ほぉ…これはまた、美しい姫だ。」 「愛、顔を上げてご挨拶せよ。」 「……直江様にお見せできる容姿にございませぬ故、これにてお許しいただきたく。」 「愛殿、女人は顔ではない。立ち居振る舞いが美しい事が、真の美しさではないかな。」 兼続の言葉に、政宗は困ってしまう。 流石に顔を上げれば己が伊達政宗であったことが分かってしまうだろう。 いくら、女物の着物を着て、髪を伸ばしたところで、顔を上げれば右目には布が掛けられている。 隻眼など、そうそう居ない。 政宗は、このような地に落ちた姿を晒したくはなかった。 兼続とは戦友として、対等の存在としてありたかったのだ。 それに、今この場で政宗の正体が知れて困るのは、幸村の方ではないのか。 勝手に政宗を手篭めにし、妻として城内奥深くに囲っている。 政宗には幸村の考えが分からない。 困った政宗は、一つ、兼続に謎掛けをした。 もし、兼続が気づいてくれたならば、 この鳥籠のような牢獄から抜け出せるかも知れない。 今切に望む、"死"という逃げ道が、開けるかも知れなかった。 「…それでは、直江様… 龍を…捕らえられた龍を、大空に還してくださりますれば、お目通りいたしましょう。」 ただの一豪族の妻としてはなんと尊大な言い方だろう。 兼続は少し瞠目するが、それと同時にこの言い回しに懐かしさを感じた。 「愛、兼続殿に対し、なんと無礼な…」 困ったように、兼続に謝罪し、幸村は兼続を酒宴の場へ促そうとする。 しかし兼続は何かに気づき、愛姫を凝視した。 未だ顔を伏せたままの姫に興味深そうな視線を投げる。 「愛殿、龍を、天に還せばよいのか?」 「…はい」 謎掛けのような会話。 兼続は真意を理解したわけでも、目の前の姫がして欲しいことに気づいたわけでもなかったが。 胸中に見え隠れする"何か"がこの姫にはある、と直感が告げた。 すらりと伸びた指、綺麗な髪、よく通る声は高すぎず低すぎず、女子にしては落ち着いている。 兼続は、その"何か"を掴もうと会話を引き伸ばそうとしたが、 幸村に促され、今度こそその部屋を辞した。 兼続の胸中には"何か"がずっと引っかかったまま。 龍を天に還せとは一体なんなのか。 以前、"龍"と例えられた人物が居た。 一人は兼続自身も仕えたことがある、越後の龍・偉大なる軍神、上杉謙信。 もう一人は、奥州の王・独眼龍、伊達政宗。 謙信は死して久しく、政宗は戦の最中に姿を消したといわれている。 兼続は幸村の後について歩きながら、気づかれないよう、愛姫の謎掛けについて思案していた。 何かが、兼続の中で繋がりつつあった。 「そういえば、幸村。奥州の、伊達政宗を覚えているか?」 「政宗殿、ですか?」 「そうだ。戦場で姿を消した。最後に姿を見たのは、確か、お前だったのではないか?」 兼続との酒宴の席、唐突に問われ、幸村はふっと微笑んだ。 「そうだったかも知れません。 確かに、政宗殿をお見かけいたしましたが、すぐに見失ってしまいました。」 「見失った?」 「えぇ、すぐ側で、愛を見つけたもので。」 「…愛殿か。」 「はい。」 出された酒肴はすべて美味だったが、兼続は一口、口にしただけで、そこから箸が進まなくなってしまった。 先ほどの愛姫との会話。 政宗の失踪。 何かがつながりそうなのだ。 そう、例えば、政宗と愛姫が同一人物であったのならば。 まず性別が違うのだから、ない事とは思うが。 有り得ない事ではない。 「そういえば、愛殿との馴れ初めは?」 「戦場で、怪我をして動けずに居たところを見つけまして。 城に連れ帰り、手当てを施したのが切欠です。」 照れながら話す幸村が、嘘を言っているとは思えなかったが、 果たしてそれが真実なのかどうか、兼続には判断しかねた。 どこか、闇を孕んだような幸村の瞳。 夫婦とは言い難いような、幸村と愛姫とのぎこちない関係。 本当に、愛姫は幸村を好いてこの城にいるのだろうか? 妻として迎えたとは言うが、愛姫の家族などは反対しなかったのであろうか? ほんの少しでも、あの流麗な所作を見れば、かなり地位の高い家柄の姫と思われる。 その姫が、稲姫や甲斐姫のように、武将としてでなく戦場に居ることも可笑しければ、 その真っ只中で怪我をして往生している、という話も可笑しい。 「幸村、愛殿は、どちらの姫君なのだ?」 「実は、わたしも知らぬのです。」 「知らぬとは、どういうことだ?」 「愛は、家の事は何も話してくれませんので…。」 苦笑いしながら、酒を飲む幸村は幸せそうに笑っているが、どこか寂しそうだった。 「愛殿は、望んでお前の妻になったのか?」 「…兼続殿…それは一体どういう意味でしょうか?」 穏やかに、笑ってはいるが瞳がまるで相手を恫喝しているようだ。 これでは暗に、望まぬ愛姫に関係を強いた、ないしはそれに近いことをしている、と言っているようなものだ。 「いや、なんでもない。気を悪くさせたな。」 「愛の素性はいろいろとわたしも考えましたが。 それでもわたしが愛を愛おしく思っていることには変わりありません。 愛もその身を寄せる家も無かったようですし、城に留め置いたのです。」 兼続は幸村の言葉を聞きながら、酒を飲んだ。 確証はないが、愛姫と政宗に何かしら関係はある。そう感じていた。 政宗の失踪と同時に、愛姫が現れている。 もし、愛姫が伊達縁のものであったのなら、あの所作も納得が行く。 取りとめも無く考えながら、夜も深けたころ兼続はあてがわれた部屋へ下がった。 部屋には戻ったものの、兼続は眠れず、羽織りを肩に掛けて部屋を出た。 愛姫の言葉、幸村の言葉、そして消えた政宗。 愛姫と政宗が同一人物だとしたら、すべての符号があう。 考え事をしながら、あてもなく廊下を歩くと、気づけば城のかなり奥まで足を踏み入れてしまっていた。 そして、兼続の歩む廊下の先には、同じく夜着に羽織り姿の愛姫の姿。 遠く月を眺めるその立ち姿は、昔、綾御前から聞かされた竹取物語の姫のように儚く輝いて見えた。 「愛殿…」 思わず声を掛けると、びくりと震える細い肩。 まだ距離があるせいか、その表情までは見えない。 だがかなり驚いているようだ。 「兼続…どの…」 弾かれたように、愛姫は半身を翻して兼続に背を向けた。 「なぜ…ここに…」 「こんな夜半にすまない。少し考え事をしていたら、城中迷ってしまったようだ。」 「そう……か…」 か細い肩に、兼続は音も無く近づく。 その気配を敏感に感じ取ったのか、愛姫は身を硬くする。 (鋭い。気配を察知する能力は武将並…か。) ぎこちない話し方は、何かを隠している。 感覚が鋭敏な事、この話し方。 ある種、兼続は確信を持って、愛姫に声を掛けた。 「愛殿。失礼を承知でお聞きする。そなた、伊達政宗ではないか?」 「…っ!!」 「昼間、そなたと話をしていて気づいた。竜、とは政宗のことだな?」 「…………なぜ……」 「竜を天に還せとは、政宗を解放するという事ではないのか?」 「兼続…」 「お前は、どこから解放されたいのだ?どこに帰りたいのだ、政宗。」 優しく問われ、政宗の肩が震え出す。 もう「兼続」と呟いた時点で、正体は割れてしまっているのだ。 政宗は声を殺して、涙を落とす。 「兼続…わしを…殺せ……」 「…政宗?!」 唐突な言葉に、兼続は驚く。 政宗不在を好機と見て取って、奥州を奪ったのは兼続だが、 その実、政宗を心配し、捜していなかったわけではない。 ようやく見つけた、と思えば、その口から発せられた言葉が「殺せ」とは。 兼続が知る政宗とは随分とかけ離れてしまっている。 それほどまでに、耐え難い何かがあるのだろうか。 「…わしは、女じゃ。 片目を失ったとき、女を捨て男として、伊達家当主として育てられることになった。 じゃが、戦場で幸村に散らされた。奥州も上杉のものとなった。 伊達家も、もう無いと聞いておる。わしに帰る場所などない。」 あったとして、この身でどの面を下げて家臣の下へ帰ることができる。 呟いて、政宗は兼続を見上げた。 その瞳には涙が浮かんでいた。 戦場で高々と笑い、猛々しく振る舞い、倭刀と二挺拳銃を扱っていた頃の面影など微塵もない。 儚く涙をはらはらと零す姿は、十分姫でまかり通る。 たとえ隻眼でも。 「耐えることができぬのじゃ…。戦場を駆け巡って居た頃と違う。 政で、狸どもと懐の探りあいをしていた頃と違う。 お前と、やりおぅていた頃とも、違うのじゃ…。もうわしは無よ。中身のない、空っぽの器じゃ。」 「政宗…」 兼続はそっと政宗の肩に触れた。 その時、廊下の奥から不穏な気配が近づいてきた。 「兼続殿、どうされたのです?こんな夜中に。」 「幸村…!」 兼続は幸村をきつく睨みつける。 それにはお構い無しに、幸村は政宗の肩を抱いて自らに引き寄せた。 「お前、自分がしたことの重大さを判っているのか?!」 「…判っています。判っていますが、止められません。 わたしは竜玉が欲しいのではなく、竜そのものが欲しかったのです。」 「幸村…」 「兼続殿、なんとでもおっしゃってください。 わたしは政宗殿を手放すつもりはありません。ずっとずっと恋焦がれていたのです。」 政宗は、力なく引き寄せられるままに幸村の腕の中に収まっている。 頬を流れる涙はそのままに、唇を噛んで。 「もう、どこへもやりません。 先ほどお聞きになったでしょう?政宗殿はおなごです。いずれ、わたしの子を孕む。 それに、政宗殿不在を好機と見て、奥州を上杉領としたのは、兼続殿ご自身。 政宗殿の帰るべき場所を奪ったのは、他ならぬあなただ。」 「それは…」 言葉に詰まる兼続に、幸村は続けた。 「あなたは、政宗殿のおっしゃるとおり、殺して差し上げるおつもりですか? 天に還りたいと望む竜を、天に還す事ができますか?」 できるのならば、どうぞ、と。 幸村は抱き寄せていた政宗の肩を兼続の方へ押しやる。 そして、携帯していた脇差もともに差し出す。 縋るような政宗の瞳。 絡む兼続と政宗の視線。 「……すまない…わたしには、政宗を手に掛けることなど、出来ない……」 「兼続…」 唇を噛み、視線を逸らす兼続と、どこか諦めた表情の政宗。 落胆の声色。 その場に屑折れる体。 嗚咽をかみ殺し、こぼれた涙は乾いた廊下に吸い込まれた。 次頁 |
幸村 → 政宗(♀)+ 兼続 兼続の登場により、ちょっとずつ流れが変わります。 強い政宗・再臨。 |