コワレテシマエ 暗





奥州王と例えられた独眼龍・伊達政宗が戦の最中に姿を消し、奥州は総崩れとなった。
伊達政宗の名の下、結束を深めていたはずの家臣は、政宗という道標を失い、散り散りとなり。
これに乗じて、上杉が根こそぎ奥州の地を奪った。
この事態は、如何に政宗の影響力が絶大だったのか、と世に知らしめた。

そして、時を同じくして日本一の兵と評された真田幸村に、一人の姫が嫁いだ、との噂が広まった。
幸村の溺愛ぶりは目を瞠り、その姫を片時も放さず、戦場にも連れて行く、と。

幸村に蹂躙される前の、政宗の目論見は、すべて外れてしまったのだ。



「愛殿。」
「………」
「また、だんまりですか?」

愛、とは政宗がまだ姫として育てられていた頃の幼名だ。
表向き、政宗が娶った姫とされているが、その実、愛は政宗本人。
世間一般の眼をごまかすため、父の策で、愛は表舞台から消え、代わりに政宗が台頭した。

「……政宗殿。」

幸村は、部屋に足を踏み入れ、呼びかける名を変えて、黙って座る姫に近づいた。

辻が花で織られた萌黄色の内掛けに、薄墨桜色の単衣、ざんばらに切られていた髪は
綺麗に整えられ、長さも伸びて、深い緑色の組み紐で、緩く背中で結わえてある。
黒い眼帯が掛けられていた隻眼は、眼帯の代わりに白と橙色で染められた上等な薄い錦の布で隠されている。
女性の政宗には似合わない、と眼帯は取り上げられ、代わりに日ごと、着替えごとに
彩なる布が巻かれるようになった。

今のこの姿は、誰もあの戦場を駆け巡った伊達政宗であるとは思わないだろう。
隻眼であるにも拘わらず、それほどまでに、美麗な姫であった。

自害も許されず、穢された体では奥州に戻ることもできない。
その上、実戦以外ではすぐ側に幸村が居て、とても逃げられる状態ではない。
よく飽きもせず、側に居られるものだ、と内心舌を巻くが、
逆に、政宗も陵辱された日からずっと、幸村とまともに口を聞いてはいなかった。

閨でもぐっと唇を噛締め、一言も発しない。
まるで声を出すことを忘れてしまった鳥のように。

「もう何年もそうしていらっしゃる。
あなたが守らねばならなかった奥州は、上杉がちゃんと治めております。
ご安心ください。安心して、この幸村に身を任せてください。」
「…………」

答えない政宗に、溜息交じりの幸村。

「まったく。強情なお方だ。そんなところも惹かれますが…。」
(よくもそんな浮ついた言葉が出るものじゃな…)
「…政宗殿。少しでもお気が晴れるかと思い、旧知の仲である、直江兼続殿をお呼びいたしましたよ。」

政宗を反応をうかがうように、幸村は言葉を続けた。
兼続が訪ねてくる、と聞き、ぴくりと政宗の眉が跳ね上がった。

「兼続殿、懐かしいでしょう?
たしか、"山城""山犬"と呼び合う睦まじい仲であったとか。」
「……………」
「兼続殿も、わたしが迎えた妻に大層ご興味があるらしく。
わたしは誰にも、あなたを引き合わせたことはありませんから…。」
「……………」
「あ、そうでした。あなたに似合う着物を贈って下さるそうです。」

政宗のすぐ側までやって来て、その両腕でそっと抱き込む。
優しく羽毛で触れるようにそっと。
けれど政宗の凍て付いた心は解けない。

「こんなにお慕いしておりますのに、政宗殿は一向に、わたしになびいてはくれないのですね。」

幸村から告げられる愛の言葉も、美辞麗句も政宗の心に響かない。
もう何もかもが手遅れなのだ。
戦場で政宗を手折ってしまってから。すべての歯車は狂っていく。

「…あなたの望みはなんですか?
あなたのためならば、何でも叶えてさしあげます。政宗殿。」

だから、声を聞かせてください、と。
幸村の切実な声が、政宗の心を少しだけ揺らす。

「…何でも、か?」

ようやく口を開いた政宗に、幸村は軽く目を見開いた。
そして嬉しくなる。ようやく政宗が答えてくれたのだ。
相変らず視線を合わせることは無かったが、それでも口を開いてくれただけ前進だ。

「はい!なんでも。あなたの望むものを、望むだけ。」
「では、殺せ。」
「……政宗…殿…?」
「わしを、殺せ。このような辱めを受けて尚、生きる道理もない。」

瞬間、幸村は頭が沸騰したように、政宗の頬を張った。
乾いた空気の中に、高い音がし、慌てて女中が駆けつけてきた。
頬を張られ、畳みに伏す政宗と、荒々しい息を吐く幸村。
その状況を見た女中の顔色が蒼白になっている。

「愛様…っ!!!」

倒れる政宗に駆け寄り、幸村を見上げた。

「幸村様、何故愛様を…」
「…出て行け。今は私と愛、二人で話をしたい。」
「ですが、幸村様!」
「大丈夫だ。もう落ち着いた。わたしが悪かった。愛、許してくれるか?」

女中に抱き起こされ、政宗は姿勢を正す。
あえて幸村の言葉は無視し、
政宗は女中の腕にそっと触れ、努めて優しい声音で女中に促した。

「大事ない。お前に何かあってはいけない。下がっておれ。」
「ですが、愛様…」
「鈴。心配かけた。下がってよい。」
「…はい…。」

幸村に盾突く鈴、と呼ばれた女中も、政宗の言葉には素直に従う。
ぐっと唇を噛んで辛そうに政宗の頬に触れ、それからゆっくりと頭を下げて、襖を閉じて出て行った。
だが、部屋の外から気配は消えない。
おそらく幸村がふたたび政宗に手を上げないよう、気遣っての事だろう。

「…あなたは、わたし以外の者にとても優しく、
わたし以外の者たちにも好かれておられる。」

どれだけ政宗が女中に、臣下に愛されているのかが分かる。
おそらく奥州でもそうだったのだろう。
政宗は冷酷であり、人情家でもある。
相反する二つの面を持っているにも拘わらず、自身にしっかりと芯を通したその人と成りが、
人々を惹きつけるのだろう。

幸村には一言も言葉を発しないが、幸村がほんの数刻城を空ける時には、
政宗は城内をゆっくり歩き、一言一言臣下に声を掛けている、とくのいちから報告されたことがあった。

政宗は類稀な政治手腕に、その気さくな気質で、誰からも好かれる。
物言いは尊大ではあるが、それは幼い頃から施された教育や帝王学のせいだろう。
素直で優しい政宗。
けれど、敵に対しては容赦しない。

幸村は、政宗にとっては"敵"に分類されてしまうのだろう。
本来であれば自害したい筈だ。
けれどそれはしない。
強制的に上田城に連れて来られた頃、
幸村が戦で不在にした隙に、自害を計った政宗を見つけ、政宗の目の前で女中を厳しく罰したからだ。
蒼白になる政宗は、慌てて女中と幸村の間に入り、強く女中を抱きしめると、
唇を震わせ何度も何度もその女に謝ったのだ。

政宗が自害をすれば、今政宗に仕えている側用人が罰される。
それを知り、大人しくしているに過ぎない。

その事実を思い知り、幸村は、怒りを抑えた声で、政宗に告げた。

「…まもなく、兼続殿が到着されます。
せめて、挨拶くらいはきちんとしてください。わたしの妻として。」
「……………………」
「あなたは、わたしの妻なのです。もう、諦めてください。」

女中が出て行った襖を開けて、幸村が出て行く。
本当に、もう数刻すれば兼続がやってくるのだろう。
政宗は唇を噛締めた。
頬を張られた時、口内を切ったのだろうか、鉄の味がした。
その香りや味が政宗には懐かしく感じられた。



「愛…さま…?」

先ほど出て行った女中が、心配そうに戻ってきた。

「…戦場を駆け巡っていたときが、あれほど幸せであったとは…」
「愛様!」
「わしは、悔しい…」

政宗の隻眼から、涙が後から後から零れ落ちた。
はらはらとこぼれる水滴は、まるで真珠のようだ。
畳みに落ちて、しみこんでゆく。

どれだけ高級だと言われる着物を贈られても
どれだけ美麗な櫛や簪を贈られても
なに一つ、嬉しいことなどない。

着飾らされ、人形のように部屋に閉じ込められるだけの状態。
臣下と供に城外へ出て、馬を駆り、領内を見回りすることが、
戦場で命を賭して領民を守りぬくことが、どれだけ誇りに満ちて、輝かしい日々であったか。
政宗は今更ながらに思い知る。

城でも、戦場でも常に幸村の監視がつく。
幸村は片時も政宗を手放そうとはしなかった。
これからも、そうはしないのだろう。

今、政宗の意思はここにない。
もう己は龍ではない。
ただ飼われた畜生同然だ。

気遣わしげに背を撫でる女中の腕に甘え、
政宗はこの城に来てはじめて、己の身を嘆き、嗚咽した。



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幸村 → 政宗(♀)
さめざめと泣く政宗は、政宗ではないような気がします。
でも涙が出ちゃう。だって女の子だもん。
本当は泣きたいのに、歯を食いしばって耐える政宗がいい。
そんな政宗を影から見守ってる誰かがいるといい。
で、耐えかねて政宗を抱きしめるといい。