堅い布団の上、それでも支給されないよりは随分と扱いが良い。
その布団の上で幸村は眠れずに居た。
敵中、捕らわれの身であるから、それは当然なのだが、いつもとは違う緊張が幸村を包んでいた。

この気持ちの整理がつかないと言うべきか、どうして良いか分からない。





 陸之巻





あまり良く眠れぬまま、幸村は朝を迎えた。
ここが敵軍本領であり自身が捕らわれの身とあれば、当然なのだが、別の緊張で眠れずに居た。
緊張…もしかしたらこの言葉は相応しくないのかも知れないが。

起き上がり、幸村は軽く嘆息する。
結局、藤が政宗だとしても、藤…否、政宗の側に居たい気持ちは変わらず、
そしてそれは藤を見請けするよりも困難である事が分かっているからだ。

理解して、藤の事は忘れなければならない。
もし好きあっていたとしても、政宗が国を捨てるはずもなく、
幸村もまた、信玄公を裏切ることは出来ない。

藤が男であっても、藤が好きだと思う幸村の気持ちは変わらなかった。
けれど、藤が政宗であるという事実は、どれほど願っても二人で居られるという結論にたどり着けない。
そして今自身は捕らわれている。
殺されない方がおかしい状況なのだ。

布団を上げ、幸村は申し訳程度に敷かれた茣蓙の上に正座した。
土を踏みしめる音がして、味噌汁の良いにおいがしてきた。

「食事だ。」

足軽が短く告げて、柵の向こうから簡素な膳を出してくる。
幸村は黙って受け取り、箸を取った。
少しでも可能性があるのであれば、ここから脱出し、信玄の下へ参じるために。

未だ、少し湯気の立つ温かい食事は、どこか幸村の心を落ち着かせる。
十分な量ではないが、食事が出されるなど随分と扱いが良い。
炊いた玄米に、汁物、小鉢に焼いた魚、捕虜に与えられるものにしては随分と良いものだ。
しかもまだ僅かに湯気の立つ温かい食事など。
武田軍ではここまで捕虜の扱いに考慮していただろうか。
幸村は政宗の、捕虜にまで心を砕くその姿勢にいたく感心しながら、小鉢に手をつけた。

「…っ!」

口に入れてすぐに気付く。
この味付けは、藤の手製のものだ、と。

「すまない、この食事は一体誰が作ったものか?」

すぐさま立ち上がって、柵の向こうで見張りを続ける足軽に声を掛ける。
食事を持ってくると同時に交代した見張りだ。
きっとどこで、誰から膳を受け取ったか分かるだろう。

この味付けは、毎夜通った花街で、藤が幸村のために用意した肴の味付けと似ていた。
そして、食事の温かさから考えて、政宗が直接この足軽に手渡したのでは無いか、と
淡い期待を寄せる。

何故か、この食事は政宗が自らのために用意したものであると信じたくて、
幸村は足軽に問うたのだ。
問われた足軽は不思議そうな顔をしながら幸村を見ている。

「…誰って…そんな事知らないが…片倉殿から受け取った。」
「片倉殿…?」
「伊達政宗殿の腹心中の腹心だ。」

一兵卒に過ぎない自分にも声を掛けてくれるのだ、と自慢気に話す足軽の言葉に、
幸村はただ曖昧に頷いた。
この味付けは確かに藤の…政宗のものだが、政宗が直々に渡すというのも些か浅はかな考えだったかもしれない。
幸村はどこか落胆しつつも、懐かしい味に胸が一杯になっていた。

(やはり、わたしは藤殿を諦める事はできない。
惚れた腫れたは惚れた方の負け…政宗殿…確かに、その通りです。)

胸が締め付けられるように苦しくなり、鼻の奥がツンと痛む。
幸村は泣きたくなるのを堪えて、黙々と箸を進めた。





そうして、数日が過ぎた。
相変らず広くもない牢の中、朝晩きちんと出される食事を食べて、過ごす。
体を鍛えることは見張りの兵に禁止されていた。
十分ではない食事や、鍛錬のできぬ状況を考えると、筋力が少々衰えたかも知れない。
そして、捕縛されたあの日以来、政宗は牢へはやって来なかった。

「…当然だ。捕虜に会いに来るなど、ある事ではないのに…」

ただ与えられる食事に、藤を…政宗を思いながら、幸村は一日を過ごしていた。
明るくも無い牢で、ただ座って一日を過ごす。
なかなかに気分も滅入って来た頃、牢へ近づく複数の足音が聞こえてきた。
見上げれば、幾分身分の高そうな武将が複数人立っている。

「真田幸村殿。貴殿の処遇が決まりました。」

精悍な声で、丁寧に告げられる。
幸村も、遂に処断されるのかと、その場に立ち上がった。
そして、おもむろに牢の扉が開かれた。

「?」

不思議そうに牢の外の武将を見ると、少し困ったように笑って疑問符を浮かべる幸村に答える。

「まずは、出てください。
どうにもうちの殿はまだまだ子供で…」
「???」

益々訳が分からないが、とにかく出してもらえるなら、と幸村は牢を出る。
相手から敵意や害意を感じられないので、大人しくしている。
それに、今自身を囲むように立っている武将は、いずれも強者だと感じ取れた。
衰えた幸村一人を取り押さえることは簡単だろう。

「すみませんが、決まりなので、これだけはお許しいただきたい。」

そう言いながら、武将の一人が幸村の両手首に縄をかけた。

「貴方が、我等が殿を傷つけるとは思えませんが、一応、体裁だけは。」

申し訳なさそうに、牢を開けた武将が言葉を添える。
幸村は軽く頷いて大人しく縄を受ける。
今幸村の前に立っているのは三人の武将。
それぞれに有能そうな男達だ。

「申し遅れた。私は、伊達家家臣、鬼庭綱元と申す。」
「同じく、伊達家家臣、伊達成実。政宗とは従兄弟で、俺が兄貴分!」
「わたしは、片倉景綱と申します。あの夜、お会いしていますが…如何せん夜の篝火の中でしたし、
覚えていらっしゃらないのでは。」

綱元と成実が、「お前の方が年下だろう」「精神年齢は俺の方が兄貴だ」と言い合っているのを尻目に、
幸村は景綱から言葉を掛けられる。

「幸村殿、既にお分かりの通り、殿は…政宗様はまだ若い。
ご無礼がある事、お許しいただきたい。」
「片倉殿…」

苦笑する景綱の後に続き、幸村は連れられて歩いた。





向かった先は湯殿で、幸村は正直驚いた。

「あの…これは?」

つい、自身の立場が捕虜であるという事を忘れ、問い返すと、成実が勢い良く返答する。

「政宗さ、綺麗好きなんだよね。何日も風呂に使ってない幸村を連れて行くと、
俺等が殴られるから!まずは入ってよ!!」

どんと背中を押されて、幸村はたたらを踏む。

「あの…伊達殿!」
「まぎらわしーから、成実で良いって。俺も勝手に幸村って呼んでる。」

成実はどこまでも人懐っこいのか、にこにこ笑いながら幸村の着物に手を掛けた。
え?と固まるのは幸村の方だ。

「お前、一応捕虜なんだし、一人に出来ないだろ?
本当は足軽にやらせようかと思ったんだけど、お前相当腕が立つからなぁ。」
「申し訳ない、真田殿。我々が監視兼、手伝わせていただく。」

困りきった幸村の顔を見ながら、片倉が苦笑する。

「幸村殿、何も取って喰おうと言う訳ではないのです。
処断を下される政宗様にお会いいただく前に、身なりを整えていただきたいだけで。
わたしは先に、政宗様に報告してくる。
綱元殿、成実をお願い致します。幸村殿に、失礼の無いように。」

なんだよそれ!とわぁわぁと騒ぐ面々を見ながら、幸村は賑やかだなぁとどこか気持ちが和らいでいった。
それに、今の片倉の話しでは、これから政宗と対面できるらしい。
数日会っていないだけなのにもう随分と長い間、会っていないような気がする。

ここ数日、考えても考えても、どうにも諦めきれそうにない政宗を思い、
らしくなく気が浮かれていることに気付いた。



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勝手に捏造伊達三傑。
孫市にしようかなぁ〜とも思ったんだけど、やっぱりなんとなくお目付け役は片倉で。
でも、孫市も出したいなぁと思ってる。
…予定は未定…が悲しいけれど…