全てが赤と金色で統一された部屋は、派手で幸村の好みではない。
既に運ばれている酒膳も、味が濃いばかりでちっとも美味しくはなかった。
それでもここに居るのは今朝出会ったばかりの藤という妓女に会うためだ。
一夜限りの遊びのためにここに居るというのは、幸村自身信じがたいことであったけれど、
ただ気持ちが高揚して仕方ない。

今朝方会ったあの人物に、藤に会えると思えば、信玄の供も悪くは無いと思える。





 弐之巻





障子戸がすっと開き、『かむろ』が顔を出す。
まだあどけなさの残る少女が、藤の来訪を告げた。

「藤姫姐さまがいらっしゃいます」

可愛らしい声でたどたどしく言い終えると、その後ろから、目にも鮮やかな着物を身に着けた藤が入室する。
藤が席に着くと、潮が引くように『かむろ』達が部屋を後にし、障子戸が閉じた。

「…ふ…藤…どの…」
「よぉ来たな、幸村。」

今朝方絹で覆い隠されていた右目は、今は上等な革で出来た眼帯で隠されていた。
緑に赤の差し色で花々が染められた着物に黄金の帯、たくさんの鼈甲の簪の蜜色を引き締めるような眼帯の濃い色は、
艶やかで甘やかな雰囲気を醸し出す姿を引き締めている。

緊張のあまり声が出ないでいる幸村を、藤は面白そうに見つめた。

「どうした、お前が望んだとおり空けておいたのだぞ、嬉しくないのか?」
「も…もちろん…!嬉しいです!」

今朝、藤の事を話した折、信玄から遊郭のしきたり、というものを少し聞いていた。
初めて店に上がる遊女は、店主の思い入れが強ければ強いほど、その遊女に見合った初めての相手、というものをあてがわれる。
店主から客に頭を下げて初めての相手に、と望まれることもあるそうだ。
信玄によれば、藤はこの遊郭の秘蔵っ子で、店主から直々に、信玄を藤の相手にしたい、と話があったという。

金の回りが良く、身元も確りとしていて、人柄も温厚、
初めてでも藤を酷く扱うことはないと店主に信頼されての事だ。
藤は、この遊郭でも上位の遊女になることが約束されているらしい。

それを、幸村が今朝、是非にと無理を言ってしまった。
事も無げに藤は了解していたが、その後店主とひと悶着あったに違いない。

信玄も確かに藤の事は気に入っていたが、幸村が頬を染めて語るため、
店主への口利きもして、藤の初めての相手にと推してくれたらしい。

『なんでも、幸村じゃなきゃ店に上がらないって言い出したみたいでのぅ。
かわゆいのぅ藤殿。』

信玄はそのようにカラカラと笑っていたが、幸村の無知ゆえに、藤にも信玄にも迷惑を掛けてしまった。
方々に迷惑を掛けた結果、綺麗に着飾られた藤が目の前に居る。

「その…すみません…わたしが、気軽にあなたに頼んでしまったばかりに…」
「気にするな。わしもかように身を窶しているとはいえ、意に染まぬ相手に身を委ねる心算はない。」
「藤殿…」

その言葉を聞いて、幸村の心はほんの少し晴れた。

「…酒が進んでおらぬようじゃが…口にあわなんだか?」
「あ、その…藤殿にお会いできるかと思うと、緊張しまして。」
「幸村、お前まさか…とは思うが。」
「あ、いえ…大丈夫です。ちゃんと経験くらいは…」

ぼそぼそと声が小さくなってしまう。
何故か藤の前で萎縮してしまうのは、藤が清々しいほどに堂々とした、武将のような話方だからだろう。
藤の方は、すでに興味をなくしたかのように座を立つ。
そして、続きの間の襖を開こうとしている。
白粉に塗られた白い手が、襖を開いた。

「酒が進まぬならば、もう休むか?」

視界に広がる派手な寝具に、幸村はくらりと視界が揺れる。
今までは藤に会えるという思いで一杯だったのだが、藤が奥へと促すのを妙な現実感を持って実感していた。

「藤殿、実は、わたしはあなたに触れる心算は…ないんです。」
「…なんじゃと?」
「私の勝手な思いなのですが、あなたには清らかなままで居て欲しい、と。思ってしまって。」

握った拳を膝の上に置き、幸村は妙に神妙な面持ちで藤に告げた。

「自分が何を言ってるか、分かっておるか?」
「…はい。」
「偽善じゃな。」
「え?」

襖の前で、藤は行儀悪くどかり、と腰を下ろした。
どこまでも男らしい仕草だが、何故か藤らしい、と感じてしまい、幸村は不快な思いはしなかった。
でも藤の言葉は気に掛かる。

「お前が抱かずとも、店に上がれば誰かがわしを抱く。」
「…それは…」
「お前は馬鹿じゃ。わしが誰に抱かれるとも知れぬのに。"清らかなままで居て欲しい"だなど…。」
「藤殿…」

藤は幸村を見ようとしない。
ただ、うなじまで塗られた白粉が、酷く哀れに思えた。

「客はお前だ。好きにせぇ。何もするつもりが無いなら、そこで酒でも飲んでいろ。わしは、休ませてもらう。」

おそらく、通常であれば客に対してこのような態度は取らないだろう。
いや、もしかしたら藤であれば、相手が誰であれこういった態度を取るかも知れない。

「…藤殿、おっしゃっておられることは、もっともです。
でも、他の誰かが藤殿に触れるのは、耐え難いのです。」

重たい打ち掛けを脱ぎ捨てて、藤はころっと横になってしまう。

「あなたを、身請けしたら、信じていただけますか?」
「なっ?!」

横になった藤は、驚いたように飛び起きた。

「身請けしたいのです。藤殿を。」
「……馬鹿め!おまえ…っ……馬鹿!」

起きた勢いのまま、藤は幸村の許までやってきた。
そして、白く塗られた手で幸村の頭を軽く叩く。

「痛いです。」
「痛くしたのじゃ、馬鹿め!」

そういうと、胡坐をかいてその場に座る。

「藤殿、お行儀が…」
「行儀などどうでも良い!お前は次から次へと…
何を言っているか分かっておるのか幸村!今朝方出会ったばかりだというのに…
わしが何者かも知らぬのに、身請け?!馬鹿の極みじゃ!!」

畳みをばんばん叩き、怒りを露わにしているのだろうが、
感情が豊かすぎるのもどうなのか。
客を前にそういった態度は取らない方が良いのでは、と幸村は思ってしまう。
そういったことも含めて今後の藤の事が気になってしまうのだから、
身請けしたい、という幸村の願いは当然と言っても良いだろう。

「聞いておるか幸村!」
「は、はい!」

酒膳を退けて、藤は幸村の襟を掴んだ。
鼻に香る白い腕や紅の匂いが似つかわしくないように感じる。
そんな幸村の考えを知ってか知らずか、藤は深く溜息を吐いて諦めたように手を離した。

「お前はわしを知らぬ。なぜここに居るのかも。それでも身請けしたいとは…」
「おかしいでしょうか。」
「おかしいじゃろう、普通は。」

離れていく藤の温もりが寂しく、幸村は藤を驚かせないように、ゆっくりとその手を伸ばし、
腕の先、藤の頬に触れた。

「…どうすれば、信じていただけますか?」
「どうと…言われても…」

幸村の行動に少し驚いているのか、藤の身が強張る。

「そうじゃな…ひと月、毎夜欠かさずわしのところへ来るなら…信じても良い。」
「ひと月毎夜…」

幸村は少し考える。
藤と一晩過ごすのにどれほどの金子がとんでいくか。
でも確かに、藤に信じてもらい、誰にも触れさせないにはそれしか方法が無いかも知れない。
神妙な表情で頷く幸村に、藤は不敵に笑んだ。



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幸村が女(?)遊びー!
すみません。。。政宗様登場まで、今暫く、お待ちください。。。