最近、烈の様子がおかしい。 咲はケータイをテーブルに置き、ため息をついた。 いつもなら、仕事が終わってまっすぐ帰ってきていた烈が、 最近良く飲みに出かける。 咲も出産前まえは社会人として仕事をしていたから、飲まずに居られない日もあるのは分かる。 けれど、最近の烈は良く同僚や豪と飲みに出かけるのだ。 あまり酒に強いほうでもないのに、いくら付き合いとは言えそんなに飲みに出かけるだろうか。 ふと、嫌な考えが頭をよぎる。 烈は家族を大切にしてくれる。 先日も、『最近帰りが遅いから』と海にくまのぬいぐるみを買ってきた。 海はいたく気に入って、毎日そのくまのぬいぐるみと寝ているくらいだ。 優しい夫。家庭思いの夫。自慢の夫。 以前はその三拍子揃えて咲は誇らしく思えていたが、最近の烈は怪しい。 飲むのだから、当然食事は取らないにしても、帰ってすぐに風呂に入る。 そして疲れた、と寝てしまう。 夫婦生活も最近ではご無沙汰だ。 海も生まれ、子育てに手がかかる時期だから時期的なものだとも考えていたが。 暫くケータイを見つめ、再び手に取る。 メールの履歴からここ最近のやり取りを振り返った。 同僚と飲みに行く、豪と飲みに行く、トラブルがあったから帰りが遅くなる。 こういった帰宅に関するメールが週に1回か2回は入るようになった。 「烈くん…もしかして浮気してる…?」 ぽつり、と呟いて咲は頭を横に振る。 烈に限ってそんな事はないだろう。もともと異性に関しては淡白な方だ。 けれど、今日のメールはいよいよ『徹夜』だった。 帰宅が明日の朝になる、ということは今日は泊まってくる、ということだ。 それが、会社で作業をしているにしろ浮気をしているにしろ、だ。 咲の胸中を黒い大きな不安が占める。 「豪くんなら何か知ってるのかな…」 年子の兄弟のせいか、この年齢になっても烈と豪は良くつるんで遊んでいる。 豪が家に遊びに来ることもしょっちゅうだ。 まぁ、咲の目から見ても豪はブラコンで、何をするにも烈と一緒が良いみたいなのだが。 もしかしたら、烈は豪に何か話をしているかもしれない。 おそらく、今週末豪が遊びにやってくる。 タイミングを見計らってそれとなく聞いてみるのも手かも知れない、と咲は思った。 その日、夫の戻らないベッドで、咲は不安に押しつぶされそうになりながら、朝を待った。 「こんちはー」 客の来訪を告げるチャイムの後、こちらの応答を待たずに家に入ってくるのは豪だ。 声を聞きつけ、海がおぼつかない足取りで玄関に走る。 「ごぉー!いらっしゃーい!!」 「海!今日も元気だなー」 足元にまとわりついてきた海を抱き上げ、豪はリビングにやってきた。 キッチンでは咲がお茶の準備を、リビングでは烈がソファで新聞を広げていた。 「仕事の都合で近くに寄ったから、デメルのザッハトルテ買ってきた。咲さん確か好きだったよな?」 「きゃー♪デメル買って来てくれたのー?うれしいっ♪」 「豪、お前は訪問した先の家長に挨拶する前に土産の報告か。」 咲、烈それぞれの反応を見ながら豪はニカっと笑った。 「まぁまぁ怒るなよ烈兄貴。咲さんが喜んでるんだからそれで良いじゃん」 「まったく、お前は…」 呆れたようなため息に、海が口を挟む。 「パパー、豪は悪くないよ!ママ喜んでるもん」 「だよなー。海は良く分かってるな!」 海の助勢を受けて、豪はますます機嫌を良くする。 「烈くん、あんまり厳しいこと言わないで。豪くんなら挨拶だって『ただいま』で良いじゃないの?」 咲の言葉にさらに嬉しそうな顔をする豪と、嫌そうな顔をする烈。 「さっすが咲さん!話が分かる♪俺こんどから『ただいまー』って言おうかな」 「あんまり調子に乗るなよ、豪。」 新聞を畳んで烈はソファから立ち上がった。 「はいはい。烈兄貴は相変わらず怖いなー。」 茶化した言い方に、今度は烈の援護に回る海。 「パパはやさしいのー!こわくないよ」 豪のばかーと言いながら、ぺちんと豪の頬に触れる。 こどもから叩かれ、豪は苦笑いを浮かべた。 「海って兄貴ソックリ。怒るときは平手なのな。」 「海、ママのお手伝いしてくれるか?」 烈は豪から海を降ろしながら、海の背中をキッチンの咲の方へ押しやる。 「じゃあ海、これママに渡してくれ。」 渡せるか?と問いながらケーキの入った箱を海に渡すと、満面の笑顔で答える。 「だいじょうぶ!海渡せる!」 一歩ずつ慎重に脚を運ぶ海をほほえましそうに見守る咲と烈。 「兄貴、悪いんだけどこないだ言ってたツール、もらっていって良い?」 「…構わないけど…。お前があれ使うのか?」 「まぁ仕事で使えたら便利かなって思って。」 「一応準備してある。」 海が咲の元にたどり着く前に、豪は烈の興味を逸らせ袖を引いた。 「じゃあ咲さん、俺ちょっと兄貴からもらうもんあるから」 「はーい。こっちはお茶の準備してるから。用事が済んだら戻ってきてね。」 海を視界の端に捉えながら、咲は豪に微笑んだ。 先に書斎に行ってしまった烈の後を追って、豪は廊下を進んだ。 「あっ…ダメ…ご…」 書斎に入って扉を閉めてしまうとすぐさま豪は烈を抱きしめ、振り向かせて唇を奪った。 完全に不意打ちを食らった烈はどうすることも出来ず、不安定な姿勢を豪の腕で支える。 「たまには『イイ』って言ってよ、烈兄貴。」 熱っぽくキスを繰り返しながら豪は囁いた。 啄ばむキスから舌を絡めるキスへすぐに変わり、豪の右腕は烈の腰にしっかりと回され 左手は髪に差し込まれている。 さらさらと指を通る感触を楽しみながら、全てを奪いつくすように烈へキスを繰り返す。 「豪…ダメだって言ってるだろ…」 抵抗を試みながら、キッチンにいる咲に聞こえてしまわないように小声で抗議した。 「俺、本気で『ただいま』って言って帰りてーよ、兄貴の居るこの家に。」 声のトーンが落ち、不機嫌さが伝わってくる。 「そうでなかったら、兄貴が俺の家に帰ってきてよ。『ただいま』って言ってさ。 大学生ん時みたくバイトからの帰りに焼き鳥とか買ってさ。」 ぎゅうっと抱きしめる腕に力を込めて豪が囁いた。 「豪…お前まだ言ってるのか?いい加減僕を困らせるのはよせ」 「困らせてるのは兄貴の方だろ。俺の事好きなら、どうして別れないんだよ。」 閉じた扉の向こうから、咲と海の談笑する声が聞こえる。 「豪…」 「いいよ、俺。海が居たって兄貴と一緒なら。」 「豪。家ではそういう話はしない約束だろ。」 少し厳しい口調で言われ、豪はしぶしぶ烈を解放する。 「兄貴が悪いのに、どうして俺がこんな想いしなきゃならねーんだよ…」 不貞腐れたように呟く豪に、烈は軽くため息をつくとあやすように豪の唇に自らの唇を重ねた。 「そうだな、確かに僕が悪いよ。嫌なら、お前も結婚したらいい。」 「ほんっと、サイッテー。心底性悪だよな兄貴って。 俺は兄貴と結婚できないならする気はねーってのに…。」 豪に、件のツールが焼かれたメディアを渡しながら、烈は綺麗に微笑んだ。 「じゃあ一生このままだな。」 「…そうかよ。あーマジむかつく。」 メディアを差し出され、そのまま烈の腕を引く。 もう一度腕の中に囲って髪の匂いをかぎ、豪は深く、長く烈に口付けた。 「…んっ…」 烈から甘い吐息が漏れ、豪の腕が烈の太ももを撫でたとき、外から海の声が掛かった。 「パパー、ごぉー、おやつー」 無邪気な声に豪がため息を漏らした。 「続きは今度、俺ン家でだな。」 「さぁな…」 髪と衣服を整え、烈は扉を開いた。 「ねぇ豪くん…」 烈がトイレに立った時、咲が豪に話を切り出した。 「なに?」 「最近、良く烈くんと飲んでるよね?最近烈くんおかしいところ、ない?」 「?別に無いけど?」 「そぅ…。何か話したり、とかは無い?悩みがある、とか。」 「うーん…そういうのは無いけど…。逆に俺の方が悩み聞いてもらってるっていうか。」 「豪君の悩み?」 紅茶の入ったカップを手のひらに包んで、咲は豪を見つめた。 「まぁ、俺にもいろいろあるからさ。兄貴には相談にのってもらったりしてるけど。」 「そうなんだ…」 少し、思いつめたような咲の表情に、豪は少し心の隙間が埋まる気がした。 豪と烈の関係が、少なからずこの幸せな家庭に影を落としていること、それが豪にとって嬉しかった。 遊ぼう、とまとわりつく海をあやしながら、豪は咲に笑いかけた。 「何、どうしたの急に?何か心配ごと?」 「心配、というか…最近烈くんの帰りが遅いから。 何か嫌なことでもあったのかと思って…」 「ふぅん…まぁ俺には良くわかんないけどさ、男って変なプライド持ってっからさ。 女の人には話せない事とか、たくさんあるし。兄貴も外にいろいろ吐き出したいんじゃねー?」 にっこり笑って、咲の心にある小さな波紋に、さらに滴を落としていく。 きっと疑惑の波紋はもっともっと広がっていくだろう。 そうして、烈を信じられなくなり、咲の方から別れを切り出したらいい、と暗い考えを持った。 「そう…なのかな…」 カップの中身を一口、口に含んで呟く咲に、更に追い討ちをかける。 「自由にさせてやったら?仕事終わってすぐ帰るっていうんじゃ、少し息が詰まるんじゃねぇ? 結婚するまではそれこそ自由だったワケだし。少しは兄貴を自由に遊ばせてやったら?」 俺が言うことでもないんだろうけど、と付け足して、出されたザッハトルテを口に運ぶ。 「別に…私は束縛してるつもりはなくて…」 言いよどむ咲に、豪は優しく言った。 「俺も言い方悪かった。そういうつもりじゃないんだ。 ただ、兄貴も自由な時間が欲しいんじゃないかと思ってさ。」 「僕がなんだって?」 丁度戻ってきた烈によって、咲と豪の会話は途絶えた。 「なんでもないの…。」 ぎこちなく微笑む咲に違和感を覚えながら、烈は豪を軽く睨んだ。 「おまえ、何か変なこと言ったんじゃないだろうな?」 「俺なんにも言ってねーって。なんですぐ兄貴は俺を疑うんだよ〜」 情けない声を出しながら、豪は海に泣きつくふりをする。 「海、パパが俺をいじめるんだ」 泣きまねをしながら海を抱き上げると、海は烈に抗議する。 「ごうをいじめちゃダメー!」 すぐに海を盾にする、と烈に文句を言われながら咲も、豪も、烈も楽しく過ごす振りをした。 咲は、烈の異変に気づき。 豪は、咲に疑惑の種を植え。 烈は、咲と海、豪の間で揺れながら、自らを罰するように苦しい場へ身を置く。 next |
豪烈奥さんの間近でいちゃつき編。 いちゃつきというのかなんと言うのか…。次あたり、ロクなことになりそうにありません。 どうしよう。咲と海がかわいそうすぎる。 なんとか良い方向に持って行きたいですが、果たしてどうなることやら。 ついてきてくださっている方がいらっしゃるか分かりませんが、 あと少しお付き合いください。 |