蜘蛛の糸





『一度、絡め取ったお人形さんはね、絶対に逃がさないのよ』



脳内で、艶やかな女の声がする。
マカに切り裂いてもらったはずの蜘蛛の糸が、まだ体のどこかに張り付いているようで。
その糸から脳内へと直接振動する、女の声。
アラクネの、声。

「やめろ…っ!喋るな!!」

頭を振っても無駄だと解かっているのに、甘い甘いその声を振り切るかのように、
ソウルは何度も首を振る。

『かわいい、可愛い、私のお人形さん。
ほら、あなたの望みを叶えてさしあげる。あなたは、あの死神の子が好きなのでしょう?』

「俺の頭の中で喚くなっ!」

『強がらなくても良いのよ。欲しいものは、欲しいと強請りなさい。
だって、あなたはまだ子供なのよ?子供は、ワガママを言っても良いの。』

「黙れっ!」

『一度、私の手を取った。
そのあなたが、私から逃げられるとお思い?ねぇ、ソウルくん…私に任せて…?』

くすくすと、甘い声が嗤う。
高すぎず、低すぎず。そして甘い声。甘い誘惑。
ソウルの脳内に、妖艶な女がすらりと立っている。
蜘蛛の巣を模した黒衣のドレスを纏った、アラクノフォビアの女王。アラクネ。

『私は蜘蛛の魔女。そう簡単には、私の糸からは逃れられないの。
抗うのも、良いけれど、身を任せるのも楽ですわよ?』

さぁ、と誘う声はどこまでも甘い。

『抗えば抗うだけ、もがけばもがくだけ、私の糸はあなたに絡まる。
ほら、さっきよりも私の声が心地よく響くでしょう?その身を、この想いに任せてしまいなさい。』

「俺の中から…出て行け…」

呻くようなソウルの声に、アラクネはとても嬉しそうに微笑んだ。
紫の紅を引いたふっくらした口角が、上がる。

『無駄ですわよ。逃れられないの。
私の手を取ったあなたが、己の誘惑から逃れられるはずはないでしょう?』

蜘蛛の巣をイメージした黒い扇子を口元に当てて、
けぶるような睫毛がゆっくりと閉じられる。

『もう、無用な問答はおやめなさい。
逃れられないのなら、流されてしまえばよろしいの。己の欲望に、忠実におなりなさい。』

ゆっくりと扇子がソウルに向けられた。
ぞっとするほど白い手が持つ黒い扇子は、病的なまでの白さを強調するようだ。
頭のどこかでガンガンと警鐘が響く。
ソウルはその場に蹲ってしまった。

(…くっそ…好きにされて……たまるか…よ……)

『ふふ。かわいい子。まだ抗うのね。
でもね、もう、何もかも遅いのよ。ほら、捕まえた…』

アラクネがゆっくりと瞳を開くと、ソウルの視界も同じように開けてゆく。
そして、その視界に写るのは驚愕に見開かれた黄金の双眸。
今まで真っ暗だった視界に飛び込んできた映像は、あまりにも衝撃的だった。

「ソ…ソウル…?」
「…キッド……」
「正気に、戻ったの、か?」
「何…言って……っう…」

ズキリ、と痛んだ頭にうめき声が漏れた。
目の前にはキッドがいる。
なぜか、ソウルはキッドの両手をギリギリと締め上げていて、冷たい床に縫いとめていた。
キッドも抵抗したのだろう。着衣が若干乱れて、髪も乱れている。
額には少し汗も浮かんでいるから、もしかしたら長い攻防があったのかも知れない。

アラクネの城で、確かキッドとは別行動だったはず。
そう、自分はメデューサに先導されて、マカと一緒にアラクネの部屋へとたどり着いたはずなのに。
何故キッドが目の前にいて、あまつさえ自分は彼を組み敷いているのか。

「ふらりと現れたかと思ったら、突然俺をこの部屋に引っ張り込んだんだろう。」

キッドがほっとしたように小さく息を吐いたのが解かった。

「俺…お前に何した?つーか…何しようとしてた?」
「…正気じゃなかったなら、良い。聞くな。」

キッドの険しかった表情が安堵に変わる。
気にするなと暗に言っているが、何もなかった訳ではなさそうだ。
ソウル自身、この胸中深くに巣食っているキッドへの想いを、飼い馴らしている訳ではない。
さっきまで脳内で五月蝿いほどにアラクネが言っていた。
欲望を解放しろ、と。
もしかしたら、キッドに何かしでかそうとしていたのかも知れないのだ。

「もう良いだろう。早くリズとパティのところへ戻りたいのだが…」

放してくれ、と告げるキッドに、なぜかソウルの指は固く、動かない。

「ソウル?」

もう一度、いぶかしむように問うキッドに、ソウルの表情が豹変した。

(お膳立てのつもりか…?)

『わたしもね、欲しいのよ。死武専に忍ばせておく子が。
出来れば、中央<死神>に近い子が良いわ。あなたでも、その死神の子でも、どちらでもよろしいのよ?』

(お前なんかに、キッドを渡すつもりは、ない。)

『…ふふ。ようやく素直になりましたわね。』

満足な結果になったのか、妖艶な女がふっと脳内から消える。
ソウルの表情も変わった。

「欲望に、忠実に…ね」
「…何を…言っている…」

この纏う雰囲気が変わったのにも気づいたのだろう。
キッドの眉間に皺が寄る。

「貴様、さっきのソウルか…」
「さっきも今も良くわからねーけど、何しようとしてるかは、もう分かってるんだよな…?」

ニヤリと笑みを描く唇。
そんなソウルを見て、キッドが厭そうな顔をした。

「獣のようなキスだけでは、足りないようだな、お前は…」
「無意識の間に、キスはしてたんだな、俺…」
「…こんなところで無駄に体力を使う気も、戦力も殺ぐ気もない。引け、ソウル。」
「引くと思うか?嫌なら、逃げろ。全力で。」

キッドの首筋に顔を埋めながら、ソウルは己の欲望に埋もれていく。

「よせっ…ソウル……っ」

切羽詰ったようなキッドの声が、何も無い室内に響いた。





『愚かな…。
のうのうと、そんなところで動かずに、子供たちだけを寄越すから、
こんなことになるんですのよ、死神…。
教え子に、大切な大切な、死神の子を奪われた気分はいかがかしら?』





蜘蛛の巣を張り巡らせたような部屋に、黒衣の魔女が呟きを落とす。
満足そうに弧を描く唇が、甘く呟いた。







アラクネさんのお城でイケナイことしちゃったりなんだり。
糸に操られたソウル君。キッドたんへまっしぐら!

ところで、アラクネ様は何が何がしたかったんでしょう。
ソウルを操って、死武専の内情を知りたいな、的なアラクネ様にしたかったですが。
ちっともなりませんでした!
すんまそん!