白銀の薔薇 巨大で、強大な死神の魂を御することは容易くなかった。 父から何度も魂を制御する手ほどきを受け、波長を抑える術を身に付けた。 代わりに、本来の自分を封じ、偽りの"愛想が良い"己を演じることになったが、 それは外の世界に出られることに比べれば、些細な事だった。 魂の制御が出来るまで、キッドは父・死神の用意した世界の中でしか生きることが出来なかったのだから。 外の世界に出て、普通の子供として生活する。 無二とも思える武器との出会い。 死武専への入学と、学友との出会い、交流。 キッドにとって、全てが新鮮で全てが楽しいものだった。 偽りの自分にも慣れ、魂を解放することも少なくなった。 ただ一つ、例外が出るまでは。 キッドが出会った、興味深い魂を持つ人物。 それまでは普通の魂だった。 そこに黒血が混じり、黒血に翻弄されながらも自我を保とうとする、ソウルの強い魂に惹かれた。 銀糸のような髪、一見針金のようにも見えるその髪は、思いのほか風になびく。 触れたことは無いけれど、きっと手触りは良いのだと思う。 何よりキッドが気に入ったのは、紅の瞳。 紅玉のようにも、光によってはキッドが好む血の色にも見えるその瞳。 瞳の中にキッドの姿が映るとき、血の中に佇む己を見るようで、キッドの魂は高揚する。 だから、ソウルの瞳に、姿を映すことはとても心地が良い。 キッドは意識的に、好んでソウルの視界に入るようにした。 けれどソウルの視線に含まれる熱情を感じた時、キッドの魂は震えた。 熱く、食い入るように見つめられる度、魂ごと喰われるような錯覚を覚えるのだ。 死神の魂を欲するなど、貪欲な武器だと思うと同時に、偽りの自分でなく、本来の自分をソウルに見せてみたくなる。 ソウルは、一体どんな反応を見せるだろうか。 ソウルの魂がキッドを求めていることは、判り過ぎるほど伝わっている。 けれど、ソウルが求めているのは偽りのキッド。 本来のキッドではない。 キッドは何時しか、本来の自分をソウルに求めさせたくなった。 その想いは日ごとに募り、キッドは随分と悩む事になった。 それ以来、ソウルの視線を感じる度に、キッドの身は竦む。 偽りの自分を映すことに、偽りの自分が愛されることに、耐えられなくなる日が来るとは思わなかったのだ。 完全に御しているはずの魂も、時折不安定に暴走することもあった。 だから、キッドは決めたのだ。 ソウルに本来の姿を見せる。 そして、その反応を見て、もしもソウルが本来のキッドを受け入れてくれるのであれば。 キッドにとってこれ以上の喜びはない。 これは勝率のとても低い勝負だったが、キッドは何故か五分のように感じていた。 本当の自分を晒そうと決意したら、キッドの気持ちは随分と楽になった。 そして、程なくしてそのチャンスは訪れた。 死刑台屋敷で読書をしていると、いつもマカと一緒のソウルの魂が、ふらりと一人外に出た。 買い物に出たのだろう。 急ぐでもなくのんびりゆったりと移動する魂に、キッドは今だと思った。 真っ白のカーテンを引いて、窓を開ける。 左手の平を広げて、ベルゼブブを出す。 ゆっくりと片足を乗せて、床を蹴るとゆっくりと浮かび上がる、スケートボード。 キッドは、いつもの憂鬱な気分と、ほんの少しの期待を込めて、ソウルの先回りをした。 ちょうど、運命を違えた魂が、ソウルの進路上に居るはずだった。 ソウルは一人。狩らねばならない魂はソウルの側に在る。 これ以上のシチュエーションは、望んでももう訪れないだろう。 たとえ死神が望んだとしても。 上手く先回りをして、狩るべき魂を持つ猫も見つけた。 そぞろ歩きをするソウル。 良い買い物が出来たのか、気分は随分と良いようだ。 これから、本来の自分を解放するのかと思うと、少し気分が高揚する。 目の前の猫には悪いが、本来ならば二ヵ月も前に死んでいたはずの命だ。 死神として、キッドはこの魂を狩らねばならない。 しかも、今日はソウルの前で。 少しずつ少しずつ、キッドは魂を解放させてゆく。 突然の魂の解放は周囲に衝撃を与える。 キッドの魂に呼応するように、生者の魂が引いてゆくのが分かった。 ソウルの魂も怯えているのが分かる。 自分以外の存在が怯え慄き、魂を萎縮させる様子は、キッドの心を揺らす。 その角を曲がれば、ソウルがキッドの姿に気づくはずだ。 キッドはタイミングを逃さないように、視線をひたりと猫に向ける。 「悪いな。本当なら、死んだはずの命だ。狩らせてもらう。」 すでに解放済みの魂を感知して、病んだ猫もキッドを認識した。 猫の瞳には、怖れとも悲しみともいえない色が浮かんでいる。 「許せ。」 キッドはゆっくりと猫に歩み寄る。 ソウルもキッドの姿を目視しているはずだ。 小さく、『キッド』と呟く声がキッドの耳にも届いたのだ。 一歩、また一歩とゆっくり歩を進め、キッドは猫の元までたどり着く。 ゆっくりと抱き上げて、温もりを確かめた。 (さぁ、ソウル。本当の俺を見て、お前は何を思う?) キッドは猫を抱き上げた手に力を込める。 本当ならしたくもない事。けれど、死神ゆえにやらねばならない事。 ソウルはそれを理解するだろうか。 猫の口端から泡のような唾液が落ち始めた。 命を奪う瞬間の、胸を締め付けられる想いは、今日は少しだけ違っていた。 キッドにとってはある種、審判が下る日。 魂を狩ってきた神へ審判が下る、というのも可笑しな話かも知れないが。 事切れた猫の骸。 その骸から抜け出した魂は、やはり少し翳りを帯びていて劣化していた。 もう少し狩るのが遅ければどうなっていたか知れない。 キッドはその魂を浄化するため、抜け出た魂へ口付ける。 穢れた気を吸い出すため。 魂の浄化が終わると、キッドは猫の魂を自らの内へ取り込む。 帰ってゆっくりと来世へ送り出してやるつもりで。 そして、本来の目的であるソウルを思い出す。 かすかに感じられる魂からは、いろいろな感情が感じ取れる。 きっと混乱していることだろう。 ソウルにとってはただ魂を狩って、猫を棄てたようにしか見えないのだから。 ふっと笑みがこぼれた。 この勝負はキッドが負けたのかもしれない。 ソウルのこの魂の動揺は半端ではない。 今にもくず折れそうなソウルの魂は、キッドの存在を拒絶しているように感じられた。 (大概、莫迦だな。俺も。) 自嘲するように笑い、キッドはふらふらと歩き出す。 ソウルへ向かって。 キッドが歩み寄るのに、それにあわせて後退さるソウル。 (嗚呼、ダメだったのか。やはり。) 「ソウル…」 視界にソウルを収め、その紅に自身を写す。 魂を狩ったばかりの自分は、ソウルの瞳には血の海に居るように映って見えた。 「どうしたんだ?こんなところで…」 ソウルの魂の動揺を少しも見過ごすまい、とキッドはソウルをじっと見つめた。 「お前こそ…こんなところで、何してたんだよ?」 乾いた、喉に張り付いたようなソウルの声。 なによりも雄弁に恐怖を語る、魂の震え。 「別に…魂を狩ってるだけだ。」 「あの猫…狩って良い魂だったのか?」 ソウルの返答に、キッドはピクリと表情を変えた。 これ以上期待しても無駄だと分かっているのに、ソウルを試してみたくなる。 すでに勝敗は決しているのだ。 この勝負に負けたキッドに、今更何も残っては居ない。 せっかく寄せてくれていたソウルの想いは離れていく。 それならばいっそ、死神らしく振舞ってみようと。 「さぁ?俺は知らない。」 「…キッド…」 案の定、キッドの言葉に脱力したような、失望したようなソウルの声。 その声を聞き、キッドの中に昏い感情が芽生えた。 (いっそこの場で、ソウルの魂を狩ってしまおうか。 どうせ手に入らないのだから。どうせ、50年もすれば死んでしまうのだから。) キッドはソウルに近づいて、その指をソウルの魂へ伸ばした。 指は胸をすり抜けて魂に触れる。 (…あたたかい…) それが、何故だか無性に嬉しかった。 「…どうしたんだよ…ちっともお前らしくない。」 「俺らしい…?ソウルの言う"俺らしい"とはどんな俺だ?」 (何も知らないくせに。俺の何も見ようとはしないくせに。 ”俺らしい”だと…?ふざけるなよ、ソウル。) ソウルの魂の輪郭をなぞるように指を動かす。 魂に触れる事には慣れているが、こうしていつでも抜き出せる状態はあまり好まない。 悪人の魂を狩ることには躊躇が無いが、一般の魂を狩ることはまだまだ抵抗がある。 「普段のお前なら、少なくとも、あんなふうに無造作に命を奪ったりしない。」 怯えながらも必死で反論するソウルに、キッドはムッとした。 「俺は死神だぞ。魂を狩り、世界の生死を管理するのが役目だ。」 「それでも、俺の知ってるキッドなら、殺さない。」 (お前の知っている"キッド"は俺じゃない! 何も知らないで…何も知ろうともしないで… ただ漫然と日々を生きているだけのお前が…俺を語るな。) 「お前の言う"キッド"と今の俺と。どちらが本当の俺なんだろうな?」 何故か痛む胸に、キッドは皮肉を言ってしまう。 ソウルが本当のキッドを知らないのは、キッドが隠しているからで。 それで良いと思っていたのはキッドの方。 けれど、このままでは辛いと我慢できなくなってしまったのも、キッドの方。 ソウルが悪いわけではない。 そうして、キッドの言葉に、ソウルの魂が更に動揺することが分かった。 「…どういう意味だ。」 「どちらが本当の俺だと思う?」 「…今、目の前に居る方は偽者だと思いたい。」 「それは、残念だったな。今お前の目の前に居るのが、"デス・ザ・キッド"だ。」 ソウルの魂の動揺が、少しだけキッドの気を晴らす。 ソウルの言葉はキッドが望んだものではないけれど、それでも少しだけ、キッドは満足した。 少しだけ微笑をこぼす。 とろりと零れ落ちそうな蜂蜜色の瞳に笑みが浮かんだ。 「このまま俺が手を引けば、お前は死ぬな、ソウル。」 魂の波動が微弱になって、キッドに縋ろうとするのが判り、それだけでキッドの魂は高揚する。 何時しか死神の本性がキッドを支配する。 魂を狩ることは好きではないが、魔武器たちよりも魂の感触は好きなのだ。 「気絶するなよ。」 魂の大きさ、感触を確かめながら、手に力を込めてゆく。 コレはキッドなりのソウルへの報復なのだが、ソウルにとってはたまったものじゃないだろう。 「…魂が、怯えているな…。」 ぐっと倒れこみそうになるソウルの体をギリギリで支えてやりながら、 脂汗をびっしりかいている顔を見下ろす。 額に張り付く、キッドの好む銀髪。 濡れて更に綺麗に見える。 「良いのか?このまま引けば、お前の魂は抜かれるぞ?」 抵抗を見せない、否、抵抗することが出来ないソウルに、キッドはさらに言い募った。 心地良い。 (少しは、俺の気持ちを知れば良い。人間が、神の心を乱すから悪い。) 「この世で一番美しいものはな、"死"に怯え恐怖する魂だと、知っているか、ソウル?」 「……お前らしくもなく、下劣な事言うんだな。」 さらに言葉を重ねれば、ソウルから思わぬ反撃に遭う。 キッドは子供のように頭に血がのぼり、ソウルの言葉に反論した。 「お前の知ってる"キッド"は、ただの偶像だ。あんな腑抜けの神が存在するものか。」 「魂抜きたきゃ抜けよ。なんせ、お前が"死神サマ"だもんな?」 (…結局、俺の負けは変わらない。ソウルは俺を見ない。これ以上、続けても虚しいだけ、か。) ソウルの言葉に、キッドは遂に諦めた。 始めから勝率の低い勝負だったのだ。 何を思ったか勝てないにしても、否定はされないだろうと、どこか甘く考えていた自分が悪い。 キッドはそうケジメをつけた。 「抜きたいのは山々だがな…。残念な事にお前は今必要な戦力だ。」 「…へぇ…魂を抜かずにおいていただける、って?」 「生かしておいてやる。今は、な。」 (生きて、せいぜい嘘で塗り固められた俺のためにデスサイズになれ。 俺はもう二度とお前の前で本性を晒さない。お前の好きな"デス・ザ・キッド"を演じてやる。) キッドはふっと息をついた。 これ以上魂を解放し続けると、ソウルの魂に影響を与えかねない。 今この場でソウルの魂を抜いてしまいたいほどに、キッドは落ち込んでいるし、 出来ればもう触れ合いたくない。 触れれば触れるだけ、ソウルの視界に入れば入るだけ、キッドは惨めになるからだ。 けれど、デスサイズとしての戦力が必要な事も事実。 「お前、虚偽の"俺"が好きだろう?」 「なっ…?!」 「真実の俺を黙っているならば、少しの間お前のその想いに付き合ってやっても良い。」 「いい加減にしろっ!」 「意地を張る意味が分からんな。この身を差し出してやると言っているのに。不満か?」 「莫迦にするな。差し出されたモンに手を出すほど落ちぶれてもいねーし、俺はお前が好きなんじゃない。」 「…ふん…俺の偶像を好いた魔鎌…か…。」 キッドとしては、最大限の譲歩をしたつもりだった。 なにせ、ソウルが知っているキッドが偽者で、今この場にいるキッドが本物なのだから。 ソウルに偽者のキッドを提供してやろう、と言っているのに ソウルはそれを拒絶する。 偽者のキッドを、本物にしろと、いう事だろうか。 「…哀れだな。」 (そうまでして理由をつけなければ、お前の側に居られない俺も。 偽者だと、半分気づいていながら偽者を本物にしようと願うお前、も――。 想い人にも自分自身にも否定される、俺自身が一番…哀れだ。) キッドはぐっと下唇を噛んで、一気に魂の解放を抑えると、その場から消えるように立ち去った。 ソウルの魂には負担をかけたし無理をさせた。 けれど今はそれを労わってやれるほど、気持ちに余裕が無かった。 この後、キッドはあからさまに本物のキッドを無かったことにしようとするソウルに呆れ、 さらに意地悪で一度だけ本性を晒す。 そして、父・死神の陰からの協力もあり、ソウルに本物のキッドを認めてもらう事になるのだが それまでかなり機嫌が悪かったことは誰も知らない。 |
『荊の王』キッド視点。 キッドもソウルが気になっていたから、本性晒したんですよ、的なお話です。 『荊の王』では俺様なキッドですが、胸中複雑だったとです。 そんな視点で。 『白銀の薔薇』は、ソウルの銀髪と紅目をイメージしております。 |