転がり込んできた魔鎌。 パートナーであるマカと結婚秒読みとまで言われていた男が。 そのマカに振られて行くアテがないらしい。 はじめは一体なんの冗談か、と思ったのだが。 どうやら本当のことらしい。 翌日、デスルームに報告に来たマカの、栗色の綺麗な長い髪がばっさりと切り落とされていたから。 我が目を疑ったものだが、落ち着いて理由を問えば、ソウルと別れたのだ、と言う。 しかしマカはまだソウルが好きらしい。 ソウルはマカに振られたと言っていたが、マカもソウルが好きなのに何故別れる必要があったのか…。 首をひねりながら、キッドはその日の執務を終えた。 情欲サイス 「俺は、髪の短いマカも好きだな。」 その日の夜。 失恋パーティだと誘われ、キッドはマカと二人でとあるレストランに来ていた。 それなりに有名な店らしく料理はどれも凝っていて美味しかった。 食事と共にオーダーした赤ワインもソムリエお勧めの物。 酒は嗜む程度のキッドにも良いものだと分かった。 「そう思う?嬉しいな。」 適度に酒も回っているのか、上気した頬を緩ませてマカが微笑む。 「キッド君は髪の毛のびたよねぇ」 マカの指が伸びて、キッドの結われた髪束に触れる。 「白いラインが伸びないのは不思議だけど。」 「…そうだな」 苦笑して、しばらくマカの好きにさせる。 漆黒の髪を指に巻いたり、すいたり、マカは楽しそうだ。 「…マカは…何故別れたんだ?」 「キッド君?」 「すまない。配慮が足りなかったか…」 不思議に思っていたことを思わず口にしてしまって、見開かれたマカの、松葉色の瞳に気づいてキッドは慌てて謝罪した。 そんなキッドに、くすり、と笑ってからマカは髪の毛から指を放し、ワインの注がれたグラスを手に取った。 ゆっくりとグラスを回して香りを楽しんだ後、暗めの照明で小豆色にすら見える液体を嚥下する。 「ソウルが、"振られた"と言っていたからな…。 マカはソウルが好きなのに、何故ソウルを振ったのかと…」 もう一度すまない、と謝ってキッドもワインを口に含んだ。 何もしゃべらないマカに、キッドの口の中が乾く。 「なんだかさ…疲れちゃったんだ。」 「疲れる?」 グラスの縁を指でなぞりながら、マカは頬杖を突いて中の液体を見つめる。 けれど一度語り出した話を止めるつもりはないらしく、言葉は淀みなく紡がれた。 「キッド君はさ、好きな人から"好き"とか"愛してる"って言われることがどれだけ幸せな事か、分かる?」 この言葉にキッドは曖昧に微笑んだ。 正直なところ、好きな人も居ないし、好きとか愛してると言われたことも、言ったこともない。 「ソウルの事、好きだよ。できれば結婚したかった。 でもね、ソウルはそうじゃなかったんだよね…。ソウルはね、他に好きな人がいるんだよ。」 「マカの他に?!」 信じられない、とキッドが驚く。 「残念ながら、本当。 好きな人から想いを告げられるのは幸せだけど、言葉だけだと逆に空しいよ。」 「マカ…」 「それでもね、アタシはソウルが好きだから。耐えられると思ったの。 ソウルも付き合ってればそのうち本当にアタシを好きになってくれるかもって思ってたし。 …だけどダメだった。」 溜息をついてマカがグラスの中のワインを飲み干す。 このタイミングを見て、給仕がデザートを運んできた。 ワイングラスが下げられて、新しいグラスにミネラルウォーターが注がれる。 その冷たい水を、マカとキッド、どちらからともなく口に含んだ。 目の前には目にも鮮やかなデザート。 カシス色のソースとチョコレートケーキ。 生クリームの白と添えられたキウイフルーツとグレープフルーツの緑と黄色が美しい。 マカがフォークでフルーツを刺すのを見て、キッドもデザートに手をつける。 「代わりにされるのって、想像以上に辛かった。」 ぽつりと呟くマカに、どう声を掛けて良いか分からない。 結局そのまま二人の間には沈黙が落ち、黙々とデザートを食べた。 食後のコーヒーを飲み終わってキッドはチェックを済ませると、マカをエスコートして外へ出た。 「少し、歩かないか?」 そのまま家に送るのも気が引けて、キッドは軽い散歩に誘った。 今の季節、まだ少し寒いが街を彩る花や緑が綺麗だ。 二人だけで歩くのも随分と久しぶりな気がして、キッドは隣のマカを見下ろした。 死武専時代はマカとキッドの身長差はほとんどなかったが、今ではキッドの方が高い。 長かった髪がなくなり首元が寒いのか、マカが小さく体を震わせた。 気づいたキッドが着ていたコートをその華奢な肩に掛ける。 「ありがと」 キッドの気遣いに、マカはキッドを見上げて微笑んだ。 さっきまでキッドを包んでいたコートは暖かく、優しさと一緒に体温が伝わってくるようだ。 もしもキッドが嫌な奴だったら、マカはソウルを諦めなかったかもしれないし、もしくはキッドを責めていたかもしれない。 けどキッドは優しい。誰にでも分け隔てなく。 死神だから、というわけではなくて、それは彼個人の魅力なのだと思う。 今日もこうしてマカに付き合ってくれている。 本当は昨日の任務明けで疲れているだろうし、聞くところによると、追い出されたソウルが深夜宿を求めて訪ねて行ったらしい。 キッドは今朝も早くからデスルームに居たから、もしかしたら、あまり眠っていないかもしれない。 そんな中、ソウルとマカが何故別れたのか、何も知らないキッドはマカの思惑など知らず付き合ってくれている。 まさかソウルとマカの間に入ってしまっている、とは本人は露ほどにも思っていないだろう。 キッドの優しさに触れるにつれて、マカはどんどん自分が嫌いになってゆく。 ただでさえ、ソウルとの関係に疲れているのに、これでは精神的に参ってしまうかもしれない。 しばらく、ソウルともキッドとも、他の誰とも会わずに距離を置きたいと思った。 わがままだと分かっているし、少女時代の自分が見たらきっと『情けない!』と叱咤するくらい、 気持ちが弱くなっていることも分かっている。 けれど、今は少しだけ時間が欲しい。 気持ちも、体も休ませて、立ち直るだけの余裕が。 散歩をしながら無言の状態で、自分の考えに耽って歩く。 こんな自分を、キッドはどう思うんだろう。なんと言うだろう。 少しだけ不安になるが、これ以上情けない自分でいたくなかった。 今、教師として死武専で子供達に教える側に立っている訳だし、こんな個人的な理由で休暇など、認められるとは思えないが…。 つま先に落としていた視線をキッドに向ければ、優しい飴色の瞳がこちらを見つめていた。 一体どれほど前から見つめられていたのか。 視線が交差すると、キッドの口から思いがけない提案がされた。 「マカ。もし、お前さえ良かったら… リズとパティの後方支援にまわってもらえないか?」 「え…?」 「今、二人をアメリカ地区に派遣してるんだが…どうも手間取っているらしい。 アメリカと一言で言っても広いから。どこか一部をマカに手伝ってもらえたら、と。」 「でも…授業は…?」 「それは俺のほうで何とかしよう。リズとパティを手伝ってやってくれないか?」 「…キッド君は、どこまでもやさしいんだね…」 マカの言葉に、キッドは軽く首をすくめて見せた。 「早く、マカの本当の笑顔が見たいからな。」 「ありがと」 泣き笑いの表情で、マカはキッドのジャケットに縋りついた。 何とか涙を見られなかったと思いたい。 そんなマカを、キッドも優しく抱きとめた。 「早く、元気になってくれ、マカ。 お前が悲しそうな顔をしているのを見るのは、辛い。」 キッドの腕に納まりながら、マカも、キッドの事を好きになっていたら、と思う。 キッドはこんなにも優しい。 アメリカ地区の手伝い、というのも本当は不要なはずだ。 リズとパティでアメリカ地区を鎮圧することなど容易い。 ただ、広いから時間が掛かるだけだ。 そして今、マカという戦力まで投入して急ぐほど混乱しているわけでもない。 休暇が欲しいと言い難いマカのために、キッドが準備した"任務"という名のつかの間の休息。 マカが珍しく泣いている姿を見せるのを、キッドは痛々しく感じていた。 いつもの彼女は天真爛漫で、仲間のために涙をこぼすことはあっても、その涙を勇気に変えて戦ってきていたはずだ。 今のマカは、己のために…己の弱さに悔しがって泣いているように、キッドには見えた。 「マカ、俺の気持ちを聞いておいて欲しい。」 「…キッド君?」 急に真剣味を帯びたキッドの声と雰囲気に、マカが顔を上げた。 真正面から見つめられて、透き通るような、琥珀の瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。 その深い琥珀色がゆらゆらと揺れて見えるのは、マカの気のせいか。 「どんなマカでも、俺はそれで良いと思う。 だから、自分の事を"弱い"などと責めるなよ。俺はどんなマカも好きだ。 心から尊敬している。」 キッドの指が、マカの頬を撫でて涙の軌跡を拭ってゆく。 顎から目尻へ流れた指が、そのまま耳へ、今は短くなった栗色の髪の毛へと辿り、 後頭部からうなじへと梳いた。 「キッド君…」 深緑色の瞳が緩むのを見て、キッドはマカの額に柔らかなキスを落とし、そのままもう一度抱き寄せた。 「元気になるまじないだ。よく父上にしてもらった。」 頭上から聞こえる低めの、甘い声にマカは微笑んだ。 「キッド君には敵わないな。」 恋敵なのに。 彼はいつもマカの欲しい言葉をくれる。 ソウルとは大違いだ。 なぜキッドを好きにならなかったのか。ソウルでなければならなかったのか。 マカには分からないけれど、優しいキッドに心密かに誓った。 アメリカから戻ったら…キッドが望むマカ・アルバーンでいよう、と。 その後、マカの涙が収まるのを待ってアパートまで送り、キッドは死刑台屋敷に帰宅した。 「よぉ。遅かったじゃねーか。」 玄関に入るとソウルが待っていた。 そういえば、昨夜からソウルが転がり込んできたのだった、と今更ながら思い出し、キッドはコートを脱いだ。 「あぁ。今日はマカと食事をしてきたのでな。」 「マカと?」 「あぁ。明日からマカもアメリカに派遣する事にした。」 「ふーん。」 別れてしまったら、興味もこの程度になってしまうのだろうか。 それにしても少々淡白過ぎるのではないか、とキッドは思う。 仮にも10年近く付き合って、パートナーとしてはそれ以上、時間を共にしてきただろうに。 しかし、興味がなさそうなソウルの様子に軽く溜息をつき、キッドは自室に戻ろうと階段に向かった。 「…マカの匂いがするな。」 ソウルの横を通り過ぎようとしたとき、彼が屈んでキッドの首筋に鼻を近づけた。 軽く鼻を鳴らして匂いをかいだのだろう。キッドにも首筋の空気が振動するのが分かった。 「別に、お前が心配するようなやましいことはなかったぞ。」 別れたばかりでソウルにマカの話を出すのは良くなかったか、とキッドは軽く顔をしかめた。 やはり、なんだかんだとマカの事が気になるようだ。 (まったく…。素直じゃないな。この男は。) ソウルのひねくれた態度に半ば呆れながら、マカに対して恋愛感情を持っていないこと、 マカもまだソウルが好きなのだ、と暗に含めて告げたつもりだったのだが。 「マカの匂いがつくまで、マカの近くに居たってことだろ?」 「だから、やましいことは無いと…」 「お前に他の誰かの匂いがつくのは我慢できない。」 「…ソウル。言葉は正しく使え。"お前に"ではなく"マカに"だろう?」 ソウルから発せられた言葉に、やれやれ、と溜息をつき訂正をするキッド。 その時のソウルの表情など見なかった。 ソウルの言葉を正しく理解しようともしなかった。 横をすり抜けて、階段の一段目に足をかけたとき、思いがけない強さで腕を引かれた。 「俺は、正しく使ってる。」 後ろから抱きとめられて、うなじに暖かいものが触れる。 ソウルの熱い吐息がキッドの首筋に触れ、結わえられた髪の毛にソウルの鼻が埋め込まれた。 ぞくり、と瞬間的に粟立つ肌。 背後からがっちりと抱き込まれ、身動きが取れない。 「言葉は正しく使ってるさ。お前に、誰かの匂いがつくのが厭だ。 お前の側には、俺だけ居れば良い。」 告げられた言葉にキッドの頭が真っ白になる。 (ソウルは今、何と言った―――?) ソウルの言葉と、両腕に縛められて、動けない。 |
マカとキッド。 二人はいつでも仲良しが理想です。 ソウマカでもソウキドでも、マカとキッドは仲良しだと思っています。 いっそマカキド←ソウルでもいいくらい。 それくらいマカが好きなのにこのシリーズではマカの扱いが酷いのは何故か…orz |