ダンっ!と烈しくぶつかる音が聞こえた。 キッドはそれをどこか他人事のように聞きながら、目の前の紅色を見つめた。 その深紅の中には、無表情な自らの姿が映る。 ついにこの時が来てしまったのか、と。 切り離した意識の中で思う。 突き飛ばされ、強かぶつけた背中は、 痛みよりも、呼吸が圧迫されたことによる肺への振動を伝えた。 「俺を見ろ。」 ソウルの真剣な言葉に、キッドは軽く瞑目した。 黙示 ソウルが重症を負って病院へ運びこまれた。 その一報を受けて、キッドは病室へ駆けつけた。 アラクノフォビア、阿修羅と激闘を終え、父・死神は引退、キッドが死神を継いだ。 それから約5年。 時折、魔女との小競り合いは続いていたが、何事もなく平和な日常に戻ったはずだった。 それこそ、マカとソウルが重症を負うほど強い敵など、もはや居ないはず。 それなのに。とキッドは幾分不安を抱えながら、ソウルの病室へ赴く。 病室の前では、マカが沈痛な面持ちで座っていた。 「マカ…」 キッドは数瞬躊躇った後、マカに声を掛けた。 憔悴しきった表情のマカが顔を上げ、キッドの姿を認めると、幾分、寂しそうに微笑んだ。 「来てくれたんだね…」 「あたりまえだろう。ソウルの様子はどうなんだ?マカ、お前は怪我してないか?」 聞きたいことはたくさんあるが、まずはマカとソウルが一番だ。 キッドはマカの両肩に手を置き、怪我を確認するように、ゆっくりとマカの身体を一回転させた。 「アタシは大丈夫だよ。 でも、アタシを庇ったソウルが怪我をして…」 クロナと対決し、黒血を受けたときと同じ、マカを庇って怪我をしたのだ、という事が分かり キッドは少しだけ状況を把握した。 「そうか…。マカがやられそうなほどの敵が、まだ居たとはな…」 キッドの呟きに、マカは小さく頭を振って、違うの、と続けた。 「違うんだよ、キッドくん…。アタシ…アタシ、ね…」 松葉色の瞳がゆるく潤んでいく。 キッドはあやすように、落ち着かせるように、ゆっくりとマカの背を撫でながら、 病室前の簡素な椅子にマカを座らせた。 「ソウルが、キッド君の武器になりたがってること、知ってたの。 でも、キッド君にソウルを渡したくなかった。ソウルとずっと一緒に居たいから。 ソウルはアタシの気持ちを知ってる。アタシもソウルの気持ちを知ってる。 でも、どうしようもない。それは分かってるの。すれ違った想いはすれ違ったまま。 それならいっそアタシが居なくなればって思った…。 それで一瞬判断が鈍って…。」 「マカ…戦闘中にそんな事を?」 「ごめんね…完璧に油断してた。たとえ手を抜いても、 今のアタシとソウルに敵う敵なんて居ないって過信してた。」 キッドはマカの肩に腕を回して、ぽんぽんと軽く叩いた。 「マカ、人間とは間違いを犯す生き物だ。 人間だけじゃない。死神だって同じだ。間違いのない時を生きる者など、存在しないのではないか?」 自分を追い詰めるな、とキッドは続けて、マカの頭を撫でた。 今はもう、ツインテールではなく、おろした髪の上方だけを緩く結わえた髪型になったマカ。 5年も経てば子供も大人になる。 随分と大人びた印象を与えるようになったが、 今のマカは、アラクノフォビアとの戦い以前のように、頼りなく見えた。 「…ソウル、アタシなんか庇わなくて良いのに…。 アタシさえ居なくなれば、ソウルはキッド君の武器になれる。」 「マカ…?」 「アタシの気持ちを知っていて、それに応えることは出来ない、って。 はっきり言ってたのに。どうしてアタシを庇ってこんな怪我…。」 「マカ…!」 「庇って欲しくなかった!惨めになるだけだよ、こんなの!」 感情的になっているマカを宥めようと、キッドは腕に力を込めて、マカを引き寄せた。 「マカ…落ち着け!」 「離してよ!キッド君なんか大嫌い!!」 「…っ…嫌いで良いから、聞け、マカ!」 キッドの言葉に、マカが目を見開く。 本当に嫌っている訳では無い。嫌いになれるはずがない。 本当は好きなのに、激昂し、無意識に出た言葉。 本心ではない言葉にマカは顔面が蒼白になる。 けれど、一度吐いてしまった言葉は取り返すことは出来ず、マカの唇は震えた。 松葉色の瞳からは涙が零れ落ちそうなほど、水分がたまっていた。 キッドは、張り詰めた空気を和らげようと、出来る限り優しい表情、声音でマカに囁いた。 「マカ、"職人を守りたい"という武器の、ソウルの気持ちを無駄にしないで欲しい。 そこに、マカの望む感情が含まれていなかったのだとしても。」 「…キッド君…」 零れ落ちる涙を拭おうともせずに、マカはキッドの胸に縋りついた。 「ごめんなさい…ごめ…なさい…」 キッドの優しい手がマカの頭を撫でる。 好いた人間に、たとえ咄嗟に出た、本心ではない言葉とは言え、 『嫌い』と言われて平気な者は居ない。 それが人でも、神でも同じこと。 やさしい表情をしてはいても、キッドは酷く傷ついて見えた。 マカは今更ながら己の失言を悔いた。 「キッド君。ごめんなさい。」 「もういい。マカが本心でない事くらい、分かる。」 「…ありがとう。ソウルに、会ってあげて…。」 消え入りそうなマカの声。 寂しそうな笑顔。 一人残すことは躊躇われたが、 キッドは、もちろんだ、と応え、その場からソウルの病室内へと足を踏み入れた。 全てが真っ白の部屋。 中央のベッドに、包帯でぐるぐるに巻かれたソウルが横たわっている。 簡素にも見える部屋は、キッドが好むシンメトリーで…というよりむしろ、 何もない、と言っていいほどだ。 キャビネットの上には、ガラスのコップと水差しだけ。 眠っているように見えるが、ソウルは起きているのだろう。 ソウルの、微妙な波長の震えからそれが知れた。 キッドはそれを知りながら、手近な椅子を引き寄せて、座る。 狸寝入りに気づかない振りをして、キッドはソウルに語りかけた。 「お前は、幸せ者だな。 マカに想われ、マカを守ることができる。 いつも側に居て、身を挺して彼女を守ることができる。」 キッドの言葉に、ソウルがピクリ、と反応を返した。 それでもキッドは気づかぬ振りをし、言葉を続けた。 「俺が願っても、手に入らないものだ。 俺は、マカが幸せであれば良いと思う。 ソウル、お前が、マカの気持ちに応えてくれたら、と。 どれだけ思ったことか、分かるか?」 目の前の白い膨らみから、窓の外に視線を投げて、キッドはふっと小さく溜息を吐いた。 「5年前から…。俺たちの間には常に微妙なバランスがあって、均衡が保たれていた。 でももう、限界なのかもしれない。」 キッドはマカを想い、マカはソウルを想い、ソウルはキッドを想う。 この5年、いや、はっきりと気持ちを自覚するまでの、 曖昧な期間を含めるともっとかも知れない。 その間、ずっと変わることがなかった、それぞれの想い。 例えばキッドが諦めて、違う女性を想ったり。 マカがソウル以外の男性を想ったり。 ソウルが、キッドを諦めてマカの気持ちに応えたり。 それぞれに変化があれば、今のこの状況は回避できたかも知れない。 しかし、現実には気持ちは変わらず、 マカは戦闘中に判断ミスをし、パートナーに傷を負わせた。 友人として、彼女を許すことはできても、死神として何かしらの罰を与えなければならない。 「お前が、マカの気持ちに応えてくれたら良い、などと思うのは、 俺の驕りも良いところだ。だがな、ソウル。」 それ以外に、道があるか? 呟いた後、キッドの視界に影が落ちた。 何時の間にか起き上がっていたソウルが、目の前に立ったせいだ。 起きて大丈夫なのか、と問おうと口を開く前に、ソウルに強く腕を引かれ、簡素なベッドに突き飛ばされる。 一瞬呼吸が止まり、気づけば目の前にソウルが乗り上げている。 紅玉の中には、無表情な自らの姿。 昔とは違う、精悍な顔立ちの、大人の男に成長したソウルが目の前に居る。 「俺を見ろよ、キッド。」 低く、地を這うような不機嫌な声に、キッドはやれやれと、わざとらしく溜息を吐いた。 「一応、病人なんだろうソウル?こんな事して傷に障ったらどうする。」 白い包帯にうっすら滲む血が、傷を生々しく感じさせる。 両手は拘束されていて、自由に動かす事ができない。 キッドが本気になればソウルから逃れることなど訳もないが、相手は怪我人。 無理をさせるわけにもいかない。 「俺がマカの気持ちに応えたらって、随分勝手な事言ってるな。 俺が、どれだけお前の事見てきたか、想ってきたか、知ってんだろ?」 「…知っている。」 否、本当は"気づかされた"と言った方が良いのだが。 5年前の、秋の頃。 皆で集まって騒いでいた死刑台屋敷。 飲み物を取りに行ったマカとソウルの話を偶然聞いてしまった事が切欠だ。 マカがソウルを好きな事は、キッドも知っていた。 けれど、ソウルがキッドを好きだという事は、初耳だった。 気取られないように、なるべく配慮してきたつもりだが、 確かに、知ってしまえばソウルはキッドに良く絡んできた。 一緒に出かけた。課外授業も共に受けた。 泊りがけで対応する課外授業などでは同じ部屋に泊まりもしたし、 そういった時は決まってソウルの魂の波長は乱れていた。 淡白なキッドでも、年頃の男子事情は良く判っていたから、なるべくソウルを気遣ってきたつもりだ。 「だがな、ソウル。武器は死神に惹かれやすいものだ。」 「俺だってそれは考えた。でも、そうじゃない。 ただそれだけで、お前だけを見てきたわけじゃない。 いくら"死神様"のお前でも、俺の気持ちを変えようとか、逸らそうとか、思うな。」 強い光を宿す瞳に、キッドは羨ましさすら感じた。 死神である自分は、今このときを穏やかに過ごして行ければ良いとだけ思っていたから。 マカがソウルを想っていても、寂しくは思うが、 狂おしいほど…それこそ、マカが戦闘中にも関わらず、他ごとを考えてしまう程に想う事はない。 ソウルが怪我をおして尚、キッドに詰め寄るほど、手に入れたいと行動する事はない。 「では、どうすれば良いんだ俺は。 ソウルの気持ちを受けとめることは出来ない。」 「そうやって、決め付けてるだけだ。 お前がマカを好きなことくらい、俺だって知ってるさ。 でもまだまだ本気じゃない。そうだろ?」 ソウルの言葉に、キッドは言葉に詰まる。 本気じゃない、それ以前なのだ。"好き"で居ることだけに満足し、手に入れるための行動を起こしていない。 だから、本気でないと言われれば、そうだ、と頷くことしか出来ない。 「マカに本気でないなら、俺だって諦められねーよ。 マカが俺に、俺がお前に、一体何年片想いしてると思ってんだ?」 ソウルの顔が近づいてくる。 吐息が触れそうなほどに近づいて、キッドは息を呑んだ。 ソウルの紅い瞳に、尖った犬歯に、噛み砕かれてしまいそうな錯覚を覚える。 瀕死の状況に陥ったとき、 人は本能的に、種の存続を優先させるという。 恋焦がれた相手を目の前に、ソウル自身、興奮しているのかも知れなかった。 「お前がマカにも俺にも本気にならないから、 俺たちはこんな中途半端なまま進めない。 だから、お前が決めろ。マカか、俺か、それとも別の誰かか。」 俺たちの中心に居るくせに、逃げるな。 そう耳元で囁かれ、キッドは軽く瞑目した。 外耳に触れるソウルの吐息が、キッドの背中にぞわぞわとした感覚をもたらす。 ソウルの呼吸にあわせて、時折揺れるキッドの肩に気を良くし、 そのまま目の前にあるキッドの外耳を舐める。 「…っ……!!」 「お前が、決めろよ?」 ソウルのいたずらに、キッドの声が震える。 「全ては俺のせいだとでも…言いたいのか、お前は…」 「違う。ただ、"見守る"なんて甘い考え方は捨てろよ。 間違いなくお前も当事者の一人なんだぜ、キッド。」 首まで赤く染まったキッドを解放し、ソウルは乗り上げていたベッドから、 先ほどまでキッドが座っていた椅子に腰掛けた。 解放されても、キッドはベッドに横たわったまま、ただ真っ赤に染まっているだろう顔を、 解放された両腕で隠すように覆っていた。 「お前が、早く俺なんか諦めれば良いんだ…」 「バカ言ってんなって。」 拗ねたようなキッドの声に、ソウルは苦笑した。 「本当に…こんな面倒な事を考えずに済むように、阿修羅を倒さなければ良かった。」 「死神様の言葉とも思えねーな。」 何時までたっても起き上がらないキッドの両腕を取り、 ソウルはとりあえず、キッドの上半身だけ引っ張り起こした。 「あんま、無防備に横になってんじゃねーよ。 こっちは5年以上も餓えてんだからな。」 言葉と同時に、キッドの額にキスを落とす。 お前の答えが出るまでは、これで我慢しておいてやる。 ソウルのそんな呟きに、キッドは「勝手な事を」と拳骨でソウルの頭を叩いた。 |
もしや、めがっさ中途半端かもしれない終わり方…? 一応、黙示のマカ → ソウル → キッド → 5年後がこれ といった流れになっております。 久しぶりの更新なのに、ちゃんと書き込めてない上に、中途半端って… もう平謝り状態です。。。 |