どうして明けぬ夜はないのだろう。 何があってもこれだけは変わらない、不変の摂理として、月は沈んで太陽が昇る。 朝からギラギラと照りつける太陽を恨めしく思いながら、 ソウルはパートナーが呼ぶ声に、ベッドから這い出した。 「ちょっとソウル!昨日からずっと変だけど、何かあったの?」 マカにしてみれば、近所へ買い物を頼んだだけなのだ。 それなのに、頼んだ品のうち幾つかは割れていたし、ソウル自身、疲労困憊という体で帰宅した。 一目見て異常な状態である事は分かったし、はじめは魔女に襲われたのかとも思った。 けれど、ソウルは何も言わず、「なんでもない」を繰り返した。 帰り道、キッドに襲われて魂を抜かれそうになった、などとソウルは告げていない。 あれは悪い白昼夢だったのではないか、と今でも心のどこかで願っている程だ。 「なんでもねーよ。それよりマカ、急がないと遅刻するんじゃねーの?」 「…それはアンタもでしょ、ソウル。ほら急いで食べちゃってよ」 「いらねぇ。」 未だ具合の悪そうなソウルが気になるが、マカは暫く様子を見てみようと決めていた。 頑ななソウルの態度は生半可では懐柔できない。 それが、ソウルにとって大切な事柄であるなら、なおさら。 もしソウルが何かを悩んでいるなら、暫くソウルが自分で考えるだろうし、必要であればマカに助けを求めるはず。 だが重大な何かを一人で抱え込んでいるのならば、マカは張り倒してでもソウルから話を聞くつもりだ。 様子を見ながら見極めるが、今はソウルを信じて待つだけ。 「…食べるまで、ずっとコレ出し続けてやるんだから。」 「……分かったよ、喰う。」 マカの言葉に観念したように、ソウルはフォークを取った。 その様子を見てまだ大丈夫、マカはそう思った。 行きたくない、というソウルの願いとは関係なく、死武専の教室に到着する。 できれば、シンメトリーがどうとか言って、今日も3時間くらいキッドが遅刻してくれれば良い、 どこかそう思いながら、ソウルはマカに続いて教室へ入った。 「おっはよーみんな!」 「おーっす!」 「おす!」 「おはよう、マカちゃん」 「おはよう、マカ。」 マカの元気な声に、一同が振り向く。 椿にブラック☆スター、リズにパティ、そしてキッドも。 なんで今日に限って時間前に居るんだ、と思いもしたが、ソウルは努めて平静を装った。 昨日のキッドを思い出して身震いする。 あれほどまでに冷酷なキッドは、思い出したくもない。 「ついでにおっすソウル。」 「ついでにってなんだよ。」 「きゃはは」 「おはよう、ソウルくん」 ソウルの突っ込みに微笑みながら、方々から挨拶が返ってくる。 階段状の教室。 ふと見上げると、キッドと目が合った。 「おはよう、ソウル。」 ソウルが知る、普段と変わらないキッドが居た。 その姿を見てどこか安堵した自分を感じる。 「キッド…」 「?どうした、ソウル?」 きょとんとした顔をして問いかけるキッドは、昨日とはまるで別人。 ソウルが良く知る、ソウルが想いを寄せるキッドで。 さっきまで落ち着き無かった精神が、平静を取り戻していった。 やはり昨日のキッドは白昼夢だったのだ。 だとしたら、なんて性質の悪い…。そう思ってソウルは苦笑いをした。 「なんでもねぇよ。」 壇上の、既に着席しているキッドの頭に手を伸ばし、その頭をぽんぽんと軽く叩く。 そのついでにサラサラとこぼれる黒髪に指を絡ませた。 (大丈夫、本物のキッドはこっちで、昨日俺は悪い夢を見ただけ。) そう言い聞かせてキッドの隣、空いている席に座った。 キッドは上段に座るブラック☆スター、椿、マカと話をしている。 とりとめの無い内容で、普段どおりの光景。 積極的に話すのはブラック☆スターとマカ。椿とキッドは相槌を打ちながら、時折話をする。 たまにリズとパティを振り返る様子に、ソウルは安堵した。 (昨日が夢、今日が現実。) そう心の中で言い聞かせていると、ふと禍々しい視線を感じた。 嫌な雰囲気は昨日のものと全く同じ。 そして、その矛先は自分だ、とソウルは感じて視線を上げた。 本当は視線は伏せたままにしたかったが、禍々しさの中に抗い難い力を感じて、顔を上げる。 「…良く見ろソウル。コレが現実。お前の希望が、夢。」 ソウルにしか見えないように、一瞬だけ艶やかに嗤うキッド。 その表情は、昨日の冷酷で冷徹な、笑み。 ソウルが知る限り、アラクネ以上に艶やかで、メデューサ以上に冷酷、そんな表情だった。 ソウルの背に、寒気が走った。 その日一日、キッドはそれ以外は至って普段どおりにみんなと接していた。 今度みんなで計画している"武者修行"と称した合宿旅行について、さらに計画を詰めるため、 空き教室で話をしていたが、その教室のあまりの散らかりっぷりにキッドが発狂し、片づけを始めた程だ。 ブラック☆スターが餌食となってキッドの手伝いをし、あれやコレやとこき使われる姿をみんなで笑っていた。 それほどまでに、日常的な光景。 けれど、ソウルにとってはすでに何が日常なのかが、分からなくなっていた。 早々にその教室から出て、向かう先はデスルーム。 特にアポを取っていたわけではないが、おそらく死神様は在室中だろう、そう思ってソウルは足早に向かった。 ノックもそこそこに、刃のついた鳥居が立ち並ぶ通路を抜けて、その先に続く広間へ。 「珍しいね〜一人で来るなんて。ソウルくん?」 「…死神様…」 仮面はしていても、全てを見透かしているような死神様の声音に、ソウルは一瞬だけ言葉に詰まった。 「キッド君のこと?」 椅子を勧められながら問われ、ソウルは無言で頷いた。 「昨日、街で見かけたキッドは、キッドじゃないみたいだった。」 「あっはは〜。面白い事言うねぇソウルくんは。」 どこから取り出したのか、何時の間にやら目の前には急須と湯のみがふた揃え。 茶請けに栗きんとんまで出ていた。 大きな手で器用に急須から茶を注ぐ。 緑茶の良い香りが漂って、ソウルは少しだけ気持ちを落ち着けることが出来た。 「これはねぇ、中務家から贈られてきた最高級の玉露なんだよね♪ 玉露の適温は60度。ソウル君は知ってた?」 「知らないスけど…今はお茶の話をしたいんじゃなくて…」 差し出された湯飲みを両手で受け取り、綺麗に透き通った少し黄味かかった液体を啜る。 「ま、死武専のキッド君しか知らないなら、昨日のキッド君にはビックリしちゃうよね。」 「…それってどういう…」 「キッド君も言ってたでしょ?アレが、本当の"死神"なんだよ。」 仮面の奥で、死神様の瞳が不気味に光る。 ソウルは我知らず、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。 「まぁわたしは800年以上も生きているし、コントロールも出来るけど。 キッド君はまだ幼い。たまーに、暴走しちゃうときもあるんだよ。」 どう見ても、その手に不釣合いなほど小さい湯飲みからお茶をすする死神様。 やっぱり美味しいなぁ、とのほほんと呟き、湯飲みの中の薄い黄色を見つめた。 「死神ってさぁ、職業柄どうしても恐がられちゃうんだよね〜。 だから我々は仮面をつける。 わたしはこうして、物理的な仮面を。キッド君は偶像という仮面を。」 ソウルは言葉なく、死神様を見る。 当の死神様は楽しそうに栗きんとんに手を伸ばし、一つ掴むと、美味しそうに口へ入れた。 実際、ソウルには口に入れたかどうかなど分からないが。 仮面の前で一瞬にして消える栗きんとんと、幸せそうにほろこぶ死神の仮面だけが、"食べた"のだと思わせる。 栗きんとんをソウルに勧めながら、さらに死神様は続けた。 「特にキッド君は、歴代の中で一番"死神"らしい"死神"なんだよ。 慈悲深くて、気ままで、自由で、傲慢で、残酷。 成長すれば、あの子はわたしをはるかに凌ぐ死神になるよ。」 「…死神様以上の死神…」 「わたしには、生皮剥いで封印するくらいしか出来なかったけど。 成長したあの子になら、おそらく阿修羅の魂を粉砕する事ができるだろうね。」 のほほんと、凶悪な内容を告げる死神様に、ソウルは目を見張る。 「あの子の誕生と成長がもう少し早ければ、わたしはとっくに引退して、のんびり隠居ライフなんだけどねぇ。」 「あのキッドが、死神様以上…?!あの、イカツイ死神様以上だって言うのかよっ?!」 目の前に居るのが死神様である事も忘れ、ソウルは湯飲みがひっくり返りそうな勢いで立ち上がった。 あまり減っていない緑茶は、湯のみの縁を楽々と越え、テーブルの上に水溜りを作る。 その様子を見て、おやおや、と呟きながら、死神様は甲斐甲斐しく、台拭きでその水分を拭った。 「信じられないかい?」 あのキッドを見ても。続く死神様の言葉に、ソウルは再び沈黙した。 じっと見つめてくる死神様の視線に耐えられず、ソウルは口を開いた。 「…信じたく…ない…」 それだけなんとか呟いて、力なく椅子に戻る。 足から力が抜けて、重力に引かれるように椅子に座るが、 重力以上の何か強い力に引かれているような錯覚を起こすほど、ソウルの体は重かった。 そんなソウルを見て、死神様は鼻で笑った。 「君も莫迦な子だねぇ、ソウル=イーター。」 視線を上げれば、嘲笑するような死神様の顔。 その顔には仮面が付けられているのに、昨日の、そしてつい先ほどソウルにだけ見せた、キッドの笑みにも見えた。 死神親子に全力で莫迦にされている、そう感じはしたが、今その事に対して何かを感じる程、 ソウルには余裕が無かった。 今まで信じていたキッドの姿は仮初め。 その事実がソウルを打ちのめした。 ガックリと項垂れるその姿を見つめ、死神様は憐れむように溜息をついた。 「ねぇソウルくん。わたしの真実の姿も、キッド君の真実の姿も。 それを知る人間は、ほぼ皆無なんだよ? キッド君が真実の姿を君に晒した意味、分かるかい?」 諭すように告げられた言葉に、ソウルは再び顔を上げた。 「君が好きになったのは、偶像のキッド君だけ?君は、キッド君の何を見ていたの?」 死神様の問いに、ソウルは首をかしげた。 仕方ない、と呟いて、死神様は湯飲みの茶を啜る。 「もう一度、言うよ。 キッド君が、真実の姿を君にだけ見せた意味が、君に分かるかな?」 ゆっくりと、単語を切るように重ねる死神様。 反応を返さないソウルに、ふっと微笑むと、死神様はソウルを出口へと誘った。 「慈悲深く、気まま、自由、傲慢、残酷。 だから、己の欲望や願望には恐ろしく忠実。それが、神なんだ。 大切なのは、なんだった?答えは、宿題にしておくよ、ソウルくん。」 ふらふらと、デスルームから出て行くソウルを見送って、閉じられた扉を見つめた。 死神様はふっと息をついて、小さく呟いた。 「だから、人間は愚かだと言うんだよ、キッド。 君は、あんなものに愛着を持つというのかい…?」 荊の王 |
冷酷キッド様との翌日。 死神様、今回はキューピッド役です。 一応、全3話予定なので、次で終わりの予定ですが…。 キッド様とソウルはどうなるのか。。。 |