その部屋に閉じ込められたのは一体何時だったか、既に記憶がない。
何も無い部屋だったはずだったのに、気がつけば上質なベッドと毛足の長い絨毯が設置されて、
キッドはほぼそのベッドの上で軟禁状態だった。

決まった時間に食事を与えられ、あとはノアの気の向くままに手慰みものにされた。
その時間も、期間も全てが曖昧で、"キッドのために"準備されたという
死神の力を奪う部屋から外に出されたことも気づけなかった。

キッドがその事実に気づいたのは、父・死神の腕に抱かれたときだった。











「…随分、好き勝手してくれちゃったみたいねぇ。わたしの息子に。」
「おや、あなたからわたしに連絡を取ってくれるとは…」

白々しいノアの言葉に、死神は鼻で笑っただけだった。

「その"死神の力を奪う部屋"流石に厄介でね。
わたしでも手を出せなかったんだよ。さすが、エイボンの遺した魔道具なだけはあるよ。」

本当に、彼は死してなおわたしを苦しめる。と呟いて、死神は鏡の中からノアを睨みつけた。

「で。わたしの力が及ぶようになった、という事は…。
わたしの息子、返してくれるんだろうね?」

仮面の奥で鋭く光る眼光を認めながら、ノアは軽く肩をすくめた。

「本当は、返したくはないのですがね。
けれど、キッドの方からわたしの元へ帰ってくるでしょう。
そういう風に、躾けましたから。」
「その言い方、気に入らないね。」

ノアの口調、態度に怒りを露わにしながら、死神はノアの背後、整えられたベッドの上に、
きちんと黒のスーツを着せられて寝かされているキッドの姿を認めた。
しかし、その黒のスーツはキッドが好んで着ていたシンメトリーのデザインではなかった。

死神の仮面を模したブローチはリボンタイに変わっていた。
深紅のリボンタイを留める、長さの異なる2本のチェーンには、ルビーやトパーズ、サファイヤなど 色とりどりの宝石が豪奢にちりばめられていたが、ノアの好みに合わせたであろうその服装が、更に死神の怒りを誘う。

「あのスーツは君の趣味?」
「お気に召しませんか?キッドの希望通り、いつも仕立ててもらっているという
オートクチュールのはずですが?」
「あの子の好むデザインじゃないでしょ。どうせ、君が無理に着せたんだ。」

死神の言葉に、ノアは軽く反論した。

「無理に、とは聞き捨てなりませんね。
キッド本人が"なんでも良い"と言ったので、わたしが選んで差し上げたまで。
着せたのも、キッドの意識がない時なので、無理強いではありません。」

まだ、ね。と続けて、ノアは鏡の側からキッドの眠るベッドへと近づいていった。

「…ノア。」

鏡に背後を向け、キッドに近づこうとしていたノアの足が止まった。
低く、背筋が凍りそうなほど冷たい声音に続いて、すぐ背後に何者かの気配を感じた。
鏡越しである死神のはずは無い、と思うのだが、同時に背筋やうなじに感じる、
ピリピリとした、冷たく殺伐とした雰囲気は、紛れもなく死神のもので。
ノアは、恐る恐る、ゆっくりと振り返った。

すぐ背後には、男が立っていた。
ノアはさり気なくその男越しの鏡を見やる。
鏡の中には、確かに死神が居た。

いつものフード付きの黒いローブ、仮面。
鏡の中の痩身は、ノアの知る死神だった。
では背後に立つこの男は?

ノアよりも頭一つ分高い身長。
黒い、肩にかかる髪の毛は、長さは揃っておらず、軽くウェーブを描いて流れ落ちている。
かといって、ボサボサという印象を与えるわけではなく、無造作に整えられている、といった印象を受ける。
ノアよりも高い位置にあるためか、怒りのためか、瞳は半眼の状態で、眉根は寄せられていた。
半眼の瞳はキッドとは真逆の白銀。
虹彩すら、銀色のように見え、その美しさは魔的だ。
黒地に細い白のストライプ柄のシャツは、上からボタンが二つ外されていて、
そこから覗く肌には、太いシルバーのチェーンが掛かっている。

髑髏と剣、十字架と薔薇を配置したモチーフのペンダントトップが禍々しく見えた。

同じく髑髏のバックルが付いたベルトは太めで、その太いベルトの上下を交差するように、
更に細めのベルトが巻きついている。
黒いスラックスは細めで、見たところ革製のようだ。
同じく革製の靴は、靴底が木で出来ているため、普通に歩けばかなりの存在感を出すだろう。
この部屋に絨毯が引いてなければ、足音で気配を察知できたはずだ。
…否、ノアの考えが正しければ、察知できない可能性の方が高い。

壮年のこの男のいでたちは見るものが見れば"チョイ悪オヤジ"と形容されたかもしれない。
だが、肌に感じるピリピリと刺すような、この他を圧倒する魂の波動は、
チョイ悪で済むレベルではない。

「…驚きましたねぇ…ご本体が登場とは…。」
「あまり、俺を怒らせるな。」

静かな、それでも怒りを湛えているという声音に、ノアは生きた心地がしなかった。

「それほどまでに、大切ですか?あの子が。」
「あれが望めば、俺はあれを殺してやれる。
お前に与えられた恥辱を忘れたい、と言うのであれば、望み通りに。」

死神が更に目を細めれば、ノアの首が絞まった。
触れられていないはずなのに、呼吸すらままならないのは死神の力によるのだろう。

「貴様ごとき下郎が、気安く俺のキッドの名を、呼ばないで貰おうか。
金輪際、あれに手を出すな。一分一秒、永らえたけりゃ、な。」

ノアの肩にわざと自らの肩を当て、死神はキッドの眠るベッドに近づいた。
そして、節くれだった大人の指で、キッドの前髪を掻きあげる。

「少し…痩せたか…?」

死神の言葉に、未だ首を絞め続けられているノアは言葉を発することが出来ない。
キッドの頬に触れ、親指で鼻から頬の稜線を辿る。

「キッド…起きなさい。」

ノアに対する時とは打って変わった優しい声音に、キッドの意識が浮上した。

「……あ……父…う…ぇ……?」
「そうだよキッド。よく頑張ったね。」
「…ゆめ?」
「現実だよ。迎えに来たからね、もう大丈夫。」

言いながら、死神はキッドに着せられていた黒のスーツを指のひと鳴らしで、
いつも彼が好んで着ていたシンメトリーの物に変えた。
物質の変換など神には容易い。
自然界の法則をむやみに捻じ曲げる事が"好ましくない"というだけで、力を使わないだけだ。

「俺……父上…」

安堵のためか、あとからあとから流れる涙を、死神はゆっくりと優しく拭った。

「大丈夫だから。一緒に帰ろう。」
「でも…俺は……帰れない。」

若干、暴れて死神の腕から逃れようとするが、大人の強い力で逃れることは出来ない。
キッドはこの大人の力に恐怖する。
また暴かれ、蹂躙され、辱められるのではないか、と。
けれど、やさしい死神の腕は、力は強くともキッドの抵抗をいなすだけで、それ以上、無理強いはしなかった。

「キッド、わたしが"大丈夫"と言って、大丈夫じゃなかったこと、あった?」
「………ない……よ…」
「でしょ?だから、今回も大丈夫。
ここは場が悪いから、早く帰ってゆっくり休もう。全てはそれから。ね?」
「俺…」

俯くキッドに、死神は彼の耳元で何事かを囁いた。
それを聞いて、キッドは瞳を見開き、ついでゆっくりと儚く笑った。

「じゃあ、帰ろうか。」

ベッドのキッドを抱き上げて、死神はキッドの視界にノアを入れないように、
無造作に右手を払った。
目に見えない力で音もなく吹っ飛ばされるノア。

死神はかかえ上げたキッドを先に鏡に通し、部屋の片隅で蹲るノアに一瞥をくれた。

「じゃあ、今日は帰るけど。いずれ殺しにくるから。」

ようやく解放された呼吸に、ノアは咳き込み、忌々しげに手近にあった燭台を鏡に向かって投げつけた。
キッドを部屋から出したのもノア。
鏡を設置したのもノア。
全ては計算通り。

…そのはずだったのだが。
唯一の計算違いは、死神がデス・シティーを離れ、自ら迎えに来たという事実だ。
けれど、ノアの絶対的有利は変わらない。
死神親子には、デス・シティーに帰っても安堵の時は訪れないだろう。

ノアがキッドを返したのは、キッドがノアのものになったという事を、死神自身に知らしめるためだ。
そうなるようにキッドの体に心に刻み込んだ。
快楽に負け、ノアに縋るようになるまで。
死神はその様を見て絶望すれば良い。
ノアは毛足の長い絨毯に足を投げ出し、ハンチング帽を目深にかぶって、その下で笑った。

「わたしは、コレクション対象を逃すつもりはありませんからね、死神。
キッドは必ずわたしの元に帰って来ますよ。」



そうする事でしか、もう生きていけないのだから。







ノア様 vs 死神様。
勝手に死神様本体出しちゃいました!
しかもデス・シティーから離れられる設定。

チョイ悪オヤジ風の死神様。
分身とか出来て、実は本体は自由に飛び回ること可能、的な。
阿修羅が復活したからもうデス・シティーに篭る必要もないんですよね…?
もしや封印されてる魔道具のためにやっぱり動けない…?
死神の力を奪う部屋、は勝手に魔道具にしちゃいました。
そして、今回キッドほぼ出番なし。