今も昔以上にお慕い申し上げておりまする。 今一目、貴方にお会いしたく候―――。 ここまで書いて、幸村は筆を止める。 (白々しい…。会いたいなどと…もう会えぬ選択をしたのに…。) 深く長い溜息を吐いて、それでも幸村は最後に"会いたい"と書いて筆を置いた。 文を粗末な料紙に包み、その中に九度山に咲いていた、名も知らぬ花を添える。 冬の早い奥州ではもう花は散り、変わりに雪の真っ白な花が咲いていることだろう。 数度、冬の奥州を訪れたことがある。 雪の中で赤い番傘をさし幸村を待つ、真っ白な人。 小柄なその体は、抱きしめれば折れてしまいそうで、幸村は何度も恐くなった。 白皙に、意志の強そうな、けれど気まぐれな猫でも思わせるような、つんと上がった瞳。 存外に長い睫毛がその目元を飾る。 ありありと思い出せるその容貌に、幸村は一人、苦笑した。 (政宗殿…会わぬ選択をしても、それでも、わたしは貴方に会いたいのです―――。) 雪うさぎ 九度山にも冬は来る。 その前に、くのいちに一通の文を手渡した。 「すまぬが、これを…」 「はいはーぃ。まさちんのトコロへ持っていけばイインですよね〜」 「くのいち。政宗殿の事をそのように呼ぶことは…」 「だってぇー。まさちんだって喜んでくれてるし、良いじゃん。」 口を尖らせるくのいちに、幸村はやれやれと笑みをこぼす。 一体何時の間に、くのいちと政宗は仲が良くなったのか。 詳しく思い出すことは出来ないが、出会った当初は事あるごとに衝突していたはずなのに。 「政宗殿の前では、くれぐれも粗相をしないでくれよ。」 「幸村さま〜。その言い方は酷いですぅ。」 今度は頬を膨らませるくのいちの頭に、そっと手を乗せた。 くのいちは頭を撫でられるのが好きらしい。 長い付き合いの中で幸村もそれは理解していた。 「んじゃ、さくっとお役目果たしてきまーっす」 どろん、と口で表現して、くのいちがその場から立ち去った。 蟄居中という事で、九度山に見張りが居ないわけではない。 時折、服部半蔵を見かけると、くのいちが言っていた。 政宗に文を送っているなどと知れれば、政宗の立場が危うくなる。 それでも送らずに居られないのだから、性質が悪い。 服部半蔵――。この名を聞いて、幸村は右手が震える。 戦いたい。槍を取りたい。半蔵は家康の懐刀でその強さは折り紙つき。 幸村は血が騒ぐのを感じるのだ。 くのいちが去ってしまってから、幸村はふと窓の外へ視線を投げた。 日がな一日、何をするでもなく読み物をしたり、たまに散歩をしたり、と していると頭に思い浮かぶこと、考えることは気づけば政宗の事。 初めて出会ったのは上田の城。 負け戦にわざわざ参加してくれる武将はおらず、 前田慶次がどこからか声を掛けた4人のうちの一人が、伊達政宗その人だった。 5人に混じって一人、若干、甲冑に着られているような印象を受けた。 子供かと思った。 まさか、奥州の筆頭が上田にまで来るとは思っていなかったのだけど。 部屋に入れば当然のように上座で寛ぐ政宗に、初めは気まぐれな猫のように感じられた。 しかし一度戦場に立てば、その戦振りは華麗だった。 刀捌きは超一流。力が無い分を、手数で補う戦い方は、敏捷性があってこそ。 幸村は己と異なる戦い方をする政宗に、引き込まれた。 翻る陣羽織は金糸で彩られて、どこに居ても目に入った。 『幸村…』 ふいに、己の名を呼ぶその声が、耳元に聞こえるような気がした。 初めて出会った時。 初めて名を呼ばれた時。 初めて触れた時。 初めて抱きしめた時。 血が沸騰するように、身体中を駆け巡った。 生きてきて、何かを愛おしいと思ったのは初めてだった。 「政宗殿は奥州王と呼ばれるお方。 わたしに文を書かれる事などないと、理解はしているのです。 でも、今政宗殿が文を書いてくださらないのは、わたしが迷っているからでしょうね…。」 そっと呟き、音にしてみて気づく。 そう、迷っているのだ。 何度も家康から帰順を求められている。 義姉である稲からも、その父・忠勝からも。 帰順を促すために、時折家康自らが足を運ぶこともあった。 そして、ほのめかすのだ。政宗からも口添えがあったと。 話を聞いて、嬉しかった。 政宗が気に掛けてくれる事。 だが首を縦に振ることが出来なかった。 敵うはずも無いとわかっている。それでも抗ってみたいと思わせる。 家康に挑みたいと。 だからいつか、幸村は槍を取るのだろう。 己の全てをかけて、家康に挑むために。 「申し訳ありませぬ…政宗殿…」 会いたいと文に書いておきながら、心の中ではそれが叶わない事を知っている。 それも己の我がままで。 七日後、くのいちが幸村の元へ帰って来た。 やはり政宗からの文は無かった。 (当然、なのだ。解かっていることなのに、それでも落胆しているのは、 少しは期待しているから、か。) 自嘲気味に、くのいちの労を労おうと口を開くと、それより早くくのいちが口を開いた。 「幸村さま!まさちんからの伝言だよ〜」 言うや否や、目の前のくのいちは一瞬煙に包まれ、次の瞬間には政宗の姿になっていた。 「まっ…政宗ど……」 思わず手を伸ばし、抱きしめてしまいそうになって、相手がくのいちだと思い出す。 『わしは、文は書かぬ。もう、送ることも赦さない。 わしに会いたくば、九度山を抜けて来い。 文ではなく、直参致せ。 徳川に帰順し、堂々と、米沢の城門より直参いたせ。』 「政宗ど…の…」 夢にまで見るその姿。甘く高い声。 記憶の中の政宗そのままに。 そして、幸村の考えどおり、愛しい愛しい政宗は、その口からするすると、 幸村にとって残酷な言葉を紡ぎ出す。 『わしとて、意地悪しておるわけではないわ。馬鹿め。 幸村に会いたい。じゃが。筋は通さねばならん。』 (嗚呼…解かっていらっしゃるのだ。政宗殿も…。) 幸村が、徳川に帰順しない事を。 己が意地を貫くため、槍を取ることを。 愛しい政宗よりも、死に場所を求めていることを。 「政宗殿…」 政宗が消えて、目の前にはくのいちが現れた。 「にゃっ?!どーしたの、幸村さま!! まさちんからの伝言、そんなに嬉しかった?」 知らず、涙が頬を伝っていた。 やはり、気づかれていた幸村の願望。 戦いの中で散りたいと望む姿。 この伝言は、政宗からの最期の申し出だろう。 徳川に帰順し、側に居て欲しいと。 幸村とて、一緒に居たくない訳ではない。 「政宗殿…」 後から後から伝う涙を、くのいちはどう理解したのか。 いつもとは逆に、そっと幸村の頭を撫でた。 幸村の涙が、奥州の雪を融かし、政宗との邂逅を願うように。 |
くのいち→幸政。 雪うさぎは終了です。 このあと、お互いの立場を貫く『落日』か、譲れないものをお互いに譲って得る『幸福論』の 二通りに分かれます。 こんなに素直な政宗、政宗じゃないような気がするのですが。 幸村の死を覚悟したら、少しは素直になるんじゃないかなぁ…なんて。 |