お前の言葉は嘘ばかり。
愛しているだの、会いたいだの。
本当にそう思っておるのなら、なぜ徳川に帰順せぬ。なぜ徳川からの申し出を受けない。

傍に居たい、など嘘じゃ。
会いたい、など嘘じゃ。
愛している、など大嘘じゃ。

死に場所を求めているから、わしの元へは来ないのじゃろう。
のぅ、幸村。





うさぎ





冬になれば、雪に閉ざされる奥州。
北の冬は厳しい。
身体の芯から冷えるような冷気に、政宗は早朝から目が覚めた。

(今日は、ことさら冷えるの…)

政宗は、ゆるりと床から起き上がり、火鉢に火を入れた。
早朝の、キンと張り詰めるような奥州の冬が、政宗は好きだ。
この張り詰めた空気が、戦場での雰囲気にも似て。
いつでもこの身を、かの戦場へ投じることが出来るように思えて、気分が高揚する。
そして決まって思い出す、紅蓮の甲冑を纏う鮮やかな槍の軌跡。

何度戦っても、勝つことが出来なかった。
負けることもなかったが、それは勝ちではない。
若い頃は、彼が同じ年だという事も、勝負に勝てぬことも納得できずに、
何度か喧嘩を吹っかけたように思う。
それを、困ったように受けるべきか受けざるべきか、さまよう視線。

政宗が理不尽に幸村に食って掛かる時、さまよっていた視線は一度も合わされた事はなかったのだが。
ある時、ぴたりと視線が合った。
その瞬間、爆ぜるように視界が真っ赤になったことを覚えている。

気づけば幸村の両腕に抱きこまれており、抱きこまれているのだと判断できた。
それにしても、抱きすくめられた強い腕がぎりぎりと絞まって、
絞め殺されるのかと思ったものだが。

『も…申し訳ありませぬ!!あまりにもお可愛いらしい仕草ゆえ、
つい…ご無礼を…大丈夫ですか、政宗殿…?』

慌てふためき、謝罪する真田幸村に絶句したものだ。
可愛いらしいとは、仮にも奥州を統べる大名たる自分に当てはまる言葉ではない。
…筈だ。
可笑しな奴とは思っていたが、真田幸村は随分と呆けた男らしかった。

それからは、会うたびその腕に囲われ、逃れられない程度の強さで抱きしめられる。
その心地良さに、気づけば幸村と情を交わすようになっていた。
恋だの愛だの告げる幸村に、半信半疑だった気持ちが解けていき、
そこまで言うのならばと。思いを受け入れたような気がする。

(思えば、それが間違いじゃった。)

ふっと、慣れ親しんだ気配がして、政宗は苦笑した。
火鉢の火も起こり、部屋全体とまではいかないが、
火の回りだけでもうっすらと温まりつつある空気。
まだ外よりはましだろう。そう判断して、政宗は音も立てずに立ち上がり、障子を開けた。

「…そんなところで何をしておる。」
「あ!あちゃ〜見つかっちゃった?」

政宗の居室のすぐ近く、見事な松の木の枝上で、くのいちがわざとらしく舌を出した。



「あったか〜ぃ」

火鉢に手をかざし、暖を取るくのいちを見つめ、政宗は胸中で溜息を吐く。
寒さが厳しく、雪で閉ざされる冬の奥州に、そう何度も足を運ぶものではない。
いくら主人・真田幸村の命とは言え、女の身でこの早朝の寒さは身に凍みるだろうに。

思えば、くのいちには随分と迷惑をかけている。
政宗は出会った当初の、勝気な少女を思い出した。
幸村の忍なのだから、彼にべったりなのは仕方ないにしても、
政宗が知る以上にべたべたとくっつく忍は聞いた事も見たこともなかった。
当初は反発ばかりだったが、幸村と恋仲になり、くのいちが文を運ぶようになってからは
なんとなく彼女と意気投合するようになったのだ。

敵味方に分かれてしまっても、幸村からの文を運び続けてくれた、くのいち。
敵陣へ文を運ぶ仕事など、一歩間違えば間者扱いだ。
だから、政宗が幸村に文を返したことはなかった。
己の身に、敵と内通しているという噂が広がる事を恐れて、
幸村にも文を送らないようにと怒った事もあったが。

文の内容が、歯の浮くような、赤面するような愛がつづられた文だったから
問題ないだろうの一点張り。
頑固な幸村は引かなかった。
だから、くのいちが一方的に、運ぶだけ。

今もそうだ。
真田家が家康に刃向かい、九度山に蟄居してからも。
くのいちが月に一、二度、幸村からの文を持ってくる。

秀吉が病没し、天下泰平は家康の手で成された。
信長・秀吉の失敗を見てきた家康は、己の治世が長く続くよう、豊臣を排し、
豊臣に味方した大名や豪族は斬首・流刑・左遷のいずれかの手段で中央から遠ざけた。
幸村もその内の一人で、九度山に蟄居中なのだ。

文には、昔と変わらずに、恋しさや愛しさ、会いたいといった内容が綴られていた。
今度もそのような文を携えているはずだ。

政宗は、火に当たるくのいちを見て、思い出したように再び立ち上がった。

「待っておれ。」

そういえば、虫の知らせか何かか。
政宗は昨晩思い立ったように煮魚を拵えたことを思い出した。
火に温まれば暖も取れようが、紀伊から奥州まで、忍とは言え女の身で疲れたことだろう。
厨房に向かい、朝餉の支度を始めた女中達に軽く挨拶を返しながら、
煮魚と、漬物、粥を膳に準備した。

くのいちの存在を知らない女中は、朝餉前に食べるのかと不思議そうに政宗を見ていたが、
気づかぬ振りをして運んでしまう。

部屋へ戻って膳を差し出す。
何の疑いも抱かずにそれを口へ運ぶ、くのいち。

(毒でも盛られているとは、毛ほどにも思わんのか、忍のくせに…)

呆れたようにくのいちを見つめ、しかしながら、
二人の間に見えない信頼関係が結ばれているような気がして、政宗は決して嫌ではなかった。

しばらく、くのいちの「美味しい」「あったまるぅ〜」という声だけがする。
そして思い出したかのように、懐から文を差し出した。

「あ、忘れる前に、はいコレ。幸村さまからのお文だよ〜」
「あやつも懲りぬ奴じゃの…。お前も苦労するじゃろう。」

差し出された和紙を受け取る。
蟄居中の身のためか、随分と質素な料紙だ。
中を広げると、見覚えのある、几帳面な筆跡。

(…馬鹿の一つ覚えのように…)

書かれた文字に、政宗は胸中で苦笑する。
そしてその言葉のどの一つにも、心動かされることはなかった。
死を望むものの讒言。
その程度にしか思えないのだ。

徳川側から、幸村の蟄居の解と、仕官の話が随分と前から上がっている。
それは兄嫁であり、家康の腹心中の腹心、本田忠勝の娘、稲からの口ぞえもあるようだが。
確かに、真田の力は未だ完全に平定したとは言い難いこの情勢には必要で。
家康からみても欲しい力だ。
幸村の力が、豊臣側にあるのは痛手。
政宗もそれとなく、幸村の恩赦を口ぞえした事があるのだが、
当の幸村自身がそれを断った、と聞いた時から止めた。

(…幸村は死に場所を求めておる。)

いくら、文に『会いたい』だの『愛しい』だの『変わらずお慕い申し上げております』等と
書かれていても、それは虚しく政宗には届かない。
中身が空っぽなのだ。

(お前ほどの男ならば、わしの考えに気づかぬわけもなかろうに。
…じゃが…くのいちには、お前の想いが伝わっておらぬようじゃの…)

政宗は、目の前のくのいちをじっと見つめた。
幸村に返事を書いて欲しい、と口調は軽いが、その真剣な目が訴えかけてくる。
くのいちはまだ知らないのだろう。幸村が何を考えているか。
こうして、政宗に文を送り、政宗からの返事だけを心の支えに生きていると思っているのかも知れない。
そう思えることはどれだけ幸せで、悲しいことか、真剣な視線を受け止めながら、政宗は考えた。

15の頃には家督を継ぎ、大人達の中で政を敷き、領土を拡大してきた政宗にとって、
くのいちは何も知らぬ無垢な輝きを持っていた。
闇の世界に染められた忍にしては珍しい部類かもしれない。
もう、政宗には幸村からの手紙も穿った考えでしか、見ることができないというのに。
穿った考え、というのは少々違うかも知れないが。
幸村の性格を思い、考えれば、この文が既に魂の篭っているものでない事など、
見抜けてしまっていた。
それを思えばくのいちが羨ましくもある。

だから―――

「では、幸村に伝えよ。
わしは、文は書かぬ。もう、送ることも赦さない。」
「なっ?!」

くのいちの顔が、驚愕に彩られた。
もう、終わりなのだ、と。自らにも言い聞かせる。
くのいちに告げる言葉はすべて本当。
そしてこれが幸村に与える最期の機会。

この機会をみすみす逃すのならば、もう政宗も迷わなかった。
おそらく、いつか対峙する事になるであろうことも。
今豊臣側の臣下が、家康に対抗しようと傭兵を募っていることも、政宗の耳に入っていた。
もしも、幸村が政宗の言葉に応えたならば、最悪の事態は逃れられよう。

けれど、もし…

「幸村に伝えよ。わしに会いたくば、九度山を抜けて来い。
文ではなく、直参致せ。」

もしも。
幸村が、徳川への帰順を断ったそのときには…。
いつかどこかの戦場で、政宗が幸村の首を討る。





赤は真田の色。幸村の色。
幸村の生き方は不器用だけれど一直線で、まるで穢れを知らない、白。
その様は、真っ白な雪に、南天の赤い粒を乗せた、雪うさぎのようだ。

政宗は思う。幸村は、己の信念を曲げず、生き方を貫くだろう。
けれど、いずれは討たれる。消える。無くなる。
雪うさぎがいずれ溶けてなくなるように。
泰平という世に照らされて、真田幸村、という男もなくなってしまうのだ。

無邪気に喜ぶくのいちに胸が痛むが、政宗は誰よりも幸村を理解し、
そして今、誰よりも幸村と相容れない存在だった。








くのいち→幸政。

雪うさぎの政宗視点。
少しは大人になって、落ち着いた政宗を表現し隊。
幸村と政宗はお互い好き同士でも、己の信念を貫きたい幸村と、大名であることを捨てられない政宗。
シリアスではそんな二人が好きであります。