『良くやってくれた。そなたには感謝している。』

あたしを褒める、優しい声。頭を撫でてくれる、大きな手。
でも知ってる。
その声が、もっと優しく切なく呼ぶ名を。
その腕が、もっと愛おしく掻き寄せるように抱く人を。

それでも良い。良いから、貴方を想っていたい。守りたい。





うさぎ





どこまでも白く続く、雪の世界。
吐く吐息は湯気のように空気に溶け、外気に触れた瞬間に凍り付いてしまいそうな程だ。
キラキラと光るその吐息に、くのいちは再び、ほぅっと細く長く息を吐く。

早朝の奥州、米沢城。
本来であれば、九度山に蟄居中の主・真田幸村の元を離れ、こんな北の地まで来ている方が可笑しい。
けれど、幸村からの一方的な米沢城城主、奥州王への文は今に始まったことではなく。
くのいちは只一人、と決めた主・幸村のために、
雪で閉ざされた奥州まで、文を携えやってきていた。

「それにしても…ホント、さっむぃトコロ…」

はぁっと指先に吐息を吹きかけ、くのいちは芯から冷える寒さに、小さく身震いした。

「…そんなところで何をしておる。」
「あ!あちゃ〜見つかっちゃった?」
「馬鹿め。気配を消さぬ忍がどこにいる。早よう中に入れ。」

用事があるのじゃろう?と、目的の人物、奥州王・伊達政宗は障子を開けて、
くのいちを部屋へと招き入れた。
早朝ということもあり、薄い寝巻き姿の政宗は、くのいちから見ても艶っぽい。

「おっじゃましまーっす」

木の枝から身を翻し、濡れ縁に音もなく着地すると、
くのいちは障子の隙間から身を滑らせて、政宗に招かれるまま部屋へと入る。
ざっと見渡す政宗の部屋。
抜け出したばかりだろう床はまだ敷いてあり、まさに人が抜け出したばかり、といった形を保っていた。

「やっぱり、起こしちった?」
「…白々しい。」

知らぬ仲でもなく、害されることも無い、と知っているためか、
政宗はくのいちを火鉢の元へと呼び寄せる。

「奥州の冬は厳しいと言うておろうが。懲りぬ奴よ。」

呆れているのか、怒っているのか、溜息交じりの口調に、くのいちは少しだけ舌を出してみせた。

「待っておれ。」

政宗は羽織を肩にかけ、障子を開けて部屋を出て行った。
一人部屋に残されたくのいちは、所在無く火鉢に当たる。
人払いがされた部屋。通常ならば、忍びの一人や二人…それこそ雑賀衆の誰かでも、
傍に置いておくのが大名として当然だろうに、と胸中呟きながら、
目に入る、炭がじりじりと燃える赤に、身体が温まってゆくのを感じた。

これでもう何度目か。
幸村からの文を運ぶのは。

くのいちは文の内容を知らない。けれど、政宗がそれに返事をした事は無かった。
紀伊の国からの労を労うためか、数日手厚くもてなされ、帰される。
その繰り返し。
幸村のためならば、紀伊から米沢までの道のりなど苦にはならないが、
政宗のつれない態度には些か、腹に据えかねているところもある。

(今回こそは、文の返事を貰って帰るんだから!)

他ならぬ幸村のため、と思いつつも、自らが幸村に寄せる想い考えれば、
身を切られるような決意だ。

「身体が冷えたろう。喰え。」

くのいちが、決意をあらわすかのように握り締めた右手。
ちょうどその時、音も無く障子が開いた。
政宗手ずから、食事を運んで戻ってきたのだ。
椀には湯気を立てた粥が盛られ、皿には煮た魚、小鉢に漬物、と簡単ではあったが、
ありがたい立派な食事だ。

「ありがと、まさちん。」
「…その呼び方は止めよ、と何度も…」

呆れながら、膳を置く。
もう幾度と無く繰り返される通例のやり取りに、くのいちも政宗も、お互い受け入れてしまっていた。

通常であれば、忍が単身乗り込むことが出来る城ではない。
若くはあるが、政宗は奥州の王。減封があったのだが、今でも六十万石の領地を治める大大名だ。
政宗の居室まで誰にも知られること無く通ることなど、
いくら優秀な忍とはいえ、無理な話。
さらに、奥州王・独眼龍の政宗が、敵の忍へ手ずから膳を運ぶなど、もっての他。
この伊達男っぷりに、くのいちも頭が下がる。

つまりは、政宗はくのいちは通すように、命を出し、
その命のおかげでここまで傷一つ無くたどり着き、あまつさえ食事をしているのだ。
なんとも忍びらしくない振る舞いである、と思いはするが、
初回の酷い有様を思い出せば、わがままは言っていられなかった。

初めて幸村の文を携えてやって来たとき、くのいちは猛追を受けた。
傷だらけの状態で、失血死すらしそうな状況であった自分を、
雑賀衆が一人、雑賀孫市が政宗の元まで連れてきたのだ。
くのいちを見て、まずは医者をと内々に殿医を呼びだし、政宗の居室で手当てを受けた、らしい。

くのいちの意識が戻ったときの、政宗の安堵の表情を見て、大層驚いたものだ。
戦での傲岸蕪村な立ち居振る舞いとは違い、実際の政宗は義に篤く、優しい人物だった。

「あ、忘れる前に、はいコレ。幸村さまからのお文だよ〜」
「あやつも懲りぬ奴じゃの…。お前も苦労するじゃろう。」

苦虫を噛み潰したような表情をして、粥をすするくのいちから文を受け取る。
政宗は、決して文を返しはしないが、突っ返すこともしない。
それはくのいちに叱責が及ばぬように、という配慮からのようだ。

(ま、幸村さまが怒るなんてコト、ありえ無いのはまさちんだって百も承知なんだろうけど。)

ずずっと温かい粥を啜り、今度は身体の内から温まってゆくのを感じた。

当初、幸村が政宗に好意を抱いていると知ったとき、
信じることが出来なかった。
何故主は、あの矜持の塊のような、高慢な独眼龍を好くのか、くのいちには理解ができなかったのだ。
けれど、今ならば分かるような気がする。

才あるが故に、幼いころから政を任された政宗。
幼少に右目を失い、その事から母親に疎まれ。
元服後も、父を撃たねばならず、母に毒を盛られ、弟を誅殺せねばならなかった。
国を守るため、父の死を無駄にしないため。
政宗にとって、あの態度は彼の精一杯の虚勢だったのかもしれない。

独眼龍と渾名されるとおり、
その身に飼う龍は本物だったが、若者の折に背負うには、あまりにも重たい責。

政宗は、受け取った文を広げ、ざっと内容を確認する。
表情を伺うように、くのいちは煮魚をつつきながら、その様子を盗み見る。
笑っているのか、困っているのか、良く分からない。
けれど落ち着いた穏やかな表情。

「ねー、まさちん。幸村さまにお返事、書いて欲しいんだけどなー」
「…………くどい。」
「どぉ〜っしてそんなに頑なになるかなー。
あたし、幸村さまのためなら例え火の中水の中、奥州雪深い米沢城の中って思ってるけど。
まさちんはさ、手ぶらで主の下へ帰る忍を、哀れとは思わないー?」

小鉢の漬物に箸をつけつつ、くのいちは政宗の隻眼を見つめた。
困ったように、ふっと息を吐き、政宗はくのいちを見つめ返した。

「では、幸村に伝えよ。
わしは、文は書かぬ。もう、送ることも赦さない。」
「まさちん!」

突き放したような言葉に、くのいちは瞬間的に頭に血が上る。
一体、幸村がどんな思いでこの文をしたためているのか。
どんな思いで政宗からの返事を待っているか。
そんな想いを無視した政宗の言葉に、くのいちは我慢が出来なかった。

「幸村に伝えよ。わしに会いたくば、九度山を抜けて来い。」
「…なっ?!」

続く言葉に、今度は開いた口が塞がらない。

「文ではなく、直参致せ。」
「まさちん…それって…」
「徳川に帰順し、堂々と、米沢の城門より直参いたせ。」

くのいちを、まるで幸村を見るかのように、強く見つめる。
その眼光は戦をまだ忘れていない、鋭い龍の目。

(嗚呼…この目。この瞳が、幸村さまを…。
この人だけが、幸村さまをこの世に留めおくことが出来るんだ…)

訳も分からず、涙が視界を遮る。
ぼやけた視野の中の政宗が、微笑んだ気がした。

「わしとて、意地悪しておるわけではないわ。馬鹿め。
幸村に会いたい。じゃが。筋は通さねばならん。」

徳川に帰順し、徳川から禄を受け、堂々と、米沢へ。

「まさちん…」
「くのいち、わしとて今すぐにでも、九度山へ向かいたい。
会えるのならば、山ほど文も返そう。じゃが、それでは駄目なのじゃ。」

わかってくれ、と続け、政宗は今度は意地悪く笑った。

「それにしても、こうしてはっきり言葉にせねば分からぬとは、幸村も愚鈍な男じゃの。
こうして傍に、奴を愛おしく想っておるおなごにも見向きもせぬしな。」
「にゃはっ☆まさちん、あたしを口説こうとしたってダメなんだから!
あたしは生涯、幸村さまの忍なんだから。」

くのいちは、触れられる政宗の手を取り、そのまま政宗に抱きついた。

「こら…!なんという真似を…」

破廉恥じゃ、と顔を真っ赤にしどろもどろ、言葉を紡ぐ政宗のなんとかわいいことか。
この人にならば幸村を任せても良い。

奥州の雪のように真っ白で、本当は無垢な人。
愛を知らなかった奥州王。
幸村の愛で魂を入れられた雪うさぎのように。
溶けて、儚く、消えてしまわぬように、くのいちは政宗を強く抱きしめた。








くのいち→幸政。

九度山に蟄居中ということは、幸村もすでに40代のはずなのですが、
まぁそんなことは気にしない。
しかも九度山には妻帯で蟄居した、とのことで、そこで息子を授かっているわけだったり。
いっさい無視した腐女子設定です。