犬も食わない 真夜中。 城の守役以外は床につき、寝静まった城内。 その中で、今目の前ですすり泣く、若き国主の姿を見て、左近はこっそりと溜息をついた。 「どうしたんです、政宗サン?」 「…っ……ぅっく…さ…こん……」 白い夜着に包まれたその背を撫でてやりながら、政宗が落ち着くのを待つ。 小田原遅参の咎で大阪に軟禁されていた時、 政宗への想いを上手く伝えることが出来ず、心よりも先に体を繋げてしまった三成。 その後左近の尽力もあり、恋仲となった二人。 政宗が奥州へ引き上げた後、三成はいそいそとその後を追って奥州へやってきた。 奥州検分とは名ばかりの、実質上、押しかけ婿状態だ。 奥州へ着くと、早速三成は"人質"と称して政宗の妻、愛姫を聚楽第へと送ってしまった。 流石にこれには政宗も苦言を呈したが、閨事の最中、前後不覚の状態に陥った政宗に、無理矢理承諾させたようだ。 反りが合うのか合わないのか、良くは分からないが、 今まで政宗が泣くほどの喧嘩など、左近が知る限り、ない。 それなのに、今目の前の政宗は泣いているのだ。 しかも矜持の高い政宗が泣いている、ということは、何か、相当酷い喧嘩をしたのではないか。 三成の性格を良く知る左近は、政宗が不憫で仕方ない。 「政宗サン…」 優しく名を呼べば、政宗は泣きながら、左近の胸に縋りついた。 「…ふっ……ぅ……なり…が………っ………じゃ…」 「ゆっくりで良いですよ。落ち着いて。深呼吸しましょうか?」 横隔膜が痙攣するほどにしゃくりあげて、上手く言葉にならず焦る政宗に、 左近は殊更やさしく語りかけた。 こくこくと頷き、政宗はゆっくりと深呼吸を繰り返す。 「落ち着きましたか?」 「…ぅむ……」 暫く深呼吸をしていると、痙攣していた横隔膜も、政宗自身も落ち着いてくる。 「目が腫れるほどに泣いて…どうしたんです?また、殿から何か言われたんですかい?」 「三成…!あやつ…あやつが……!」 「殿が?」 先を促してやれば、政宗の瞳に再び涙が溜まる。 余程、酷い事を言われたのだろう。 不憫に思い、左近は政宗の頭を撫でた。 どうやら、政宗はこうして左近に頭を撫でられるのが好きらしい。 いつも猫のようにその隻眼を細めて、愛らしく甘えてくる。 この日も、何とかそれで落ち着いていられるようで、政宗がゆっくりと語り始めた。 「三成が、"ずんだ"は甘味ではない、と…そう言うのじゃ…」 「……"ずんだ"……"ずんだ餅"の事ですかい?」 こくり、と頷く政宗。 確かに、西国には、ここ奥州で当たり前の甘味、"ずんだ餅"はない。 左近も耳に聞いてはいたが、きれいな鶯色の餡が掛けられた餅を見た時は感動したものだ。 お萩と似た、けれど味は、すこし塩辛いような甘いような、桜餅と似たようなものだった。 その"ずんだ"は、どうやら三成には甘味というより、食事の一種として認識されたらしい。 それが、政宗の気に入らないようだ。 「今日、最近執務で篭りがちの三成に何かしてやりたくて…ずんだ餅を作ったのじゃ。 わしが手ずから作って運んでやったのに、あやつ、見向きもせぬばかりか、 ずんだは甘味ではないと。」 政宗の震える声に、左近は納得した。 ずんだの事よりも、自分を蔑ろにされて、政宗は悲しかったのだろう。 最近、京・秀吉の中国統一が活発になってきている。 全国統一に向けたこの動きは、秀吉の悲願でもあり、三成の悲願でもある。 秀吉の下を遠く離れ奥州に居る三成は、少しでも秀吉のためになるように、と情報を集め、整理し、 ここ最近はずっと寝る間も惜しんで軍略を立てていた。 「それは、いけない殿ですねぇ…」 「左近もそう思うか!"ずんだ"は奥州が名物じゃ!それを三成め…」 「いや、左近が言ったのはそういう意味ではないですよ。」 「…左近?」 声の高さが一つ低くなり、政宗を抱きしめる腕に力が入り、政宗は何事か、と左近を見上げた。 「政宗サン、殿が構ってくれなくて、寂しかったんでしょ?」 「…っ!」 「それに最近、殿に可愛がってもらってないんじゃないですかい?」 「左近…!」 首に掛かる髪を、うなじを辿るようにさらりと撫でられて、政宗の体がぴくりと反応する。 毎夜毎夜、飽きることなく三成に抱かれて来た体だ。 意識せずとも過敏に反応してしまう。 もとより敏感な体だが、三成に慣らされ、より感度が上がっていた。 「政宗サン、あなた気づいてないでしょうけど…」 「な…なんじゃ…」 「すごい色香を振りまいてますよ、日中から。」 驚いたように政宗は左近を見上げた。 「そ…そんな……事…わしには分からぬ!」 「そうでしょうね」 ふっと優しく笑むと、左近は自らが寝ていた柔らかな布団へと、政宗の体を寝かせた。 「さ…さこん…?」 不安気に見つめてくる隻眼。 夜の少ない光の中でも、その瞳は涙に濡れてきらきらと光って見える。 「もし分かっていたら、こんな夜更けに男の部屋へなど、訪ねてこないでしょう?」 「意味が…」 わからない、と告げようとして、左近の指が唇に当てられた。 告げようとした言葉は、政宗の中に戻る。 「左近と、殿以外の部屋には、行かないことです。 でないとあなたに中てられた輩は、悶々とした夜を過ごすことになって可哀相だ。」 益々疑問符を浮かべる政宗に、左近は至極明るく、事も無げに言って見せた。 「左近でも参ってしまいそうなほど、欲しいと思わせるんですよ、今の政宗サンは。」 「…っ!」 言われている意味にようやく思い至り、政宗は恥ずかしさのあまり左近から視線を逸らせた。 左近が言っていることは、つまり、三成に抱かれなくなった体は、 熱を持て余して、意識せずとも方々に振りまいて"誘っているようだ"、と指摘されているのだ。 けれど、これは政宗のせいではない。 政宗にそのつもりもないし、今まで無自覚だったのだから。 「ずんだのことに拘らず、殿の部屋に行ってみてはどうです?」 「左近…」 「本当は、寂しかったんでしょ?政宗サンは。」 額から、かき上げるようにして髪をすかれれば、唸るように政宗が唇を噛む。 (本当に、可愛いお人だ。) くすっと笑い、左近は今しがた寝かせたばかりの政宗の上半身を抱き起こした。 その首筋に、唇で触れる。 「…っ!」 「さぁ、左近を不忠義者にしないでください。」 痕が残らない程度に首を吸われ、政宗の口から甘い喘ぎが漏れた。 自らから零れ落ちた、通常よりも甘い声に、さっと冷水を浴びせられたように、政宗の頭が冴える。 ―――言われる通りなのかも知れない。 政宗はゆっくりと立ち上がった。 左近は無くしたくない存在だ。だから、今の距離感が良い。 間違いがあってはいけないと、そう思うのだ。 それに、政宗はやはり、三成が好きだった。 左近の言うとおり、"ずんだ"の件は少々頭には来たが、それほどではなかった。 それよりも、秀吉のため、天下統一のため、不眠不休で机に向かう三成に腹が立ったのだ。 少しでも二人の時間を持ちたい、と願った政宗よりも、秀吉を取った。 政宗が執務で忙しい時は、構うことなくべったりであったり、邪魔をしながら手伝ってくれたり、 それこそ昼中から求められたりもしたのだが。 立場が変われば、ばっさりと政宗を切り捨てる、そんな情人の態度に、 酷く現実を突きつけられた気がして、そして悲しかった。 三成の部屋の灯りが遅くまで灯っていることを、政宗は知っている。 その部屋は、時折灯りが灯ったまま、朝を迎えることもある。 「…左近…本当は、一晩ここに居たかったのじゃが、 わしはお主が大切じゃ。無くしとうはない。だから、今日は辞そうと思う…じゃが…」 そっと襖を開けて立ち去ろうとする政宗が、慎重に、言葉を選びながら告げる。 「…わしが、こんな状態でない時なら…………一緒に………じゃな…居ても……」 「まったく、あなたには敵いませんね、政宗サン。」 俯いて、続く言葉が告げられなくなってしまった政宗に、左近は優しく微笑んだ。 「良いですよ。その時は、美味い酒でも飲みながら、語りましょうか。」 「うむ!約束じゃぞ!」 左近の言葉に元気を取り戻した政宗は、そっと部屋を出て行った。 暫くその気配が消えるのをうかがい、完全に消え去ってから、左近は大きく溜息をついた。 「…殿に仕えてから今まで、キツいと思った事は無かったが…今日のは相当、堪えましたねぇ…」 脱力し、政宗がさっきまでほんのわずかの間、横たわっていた布団に大の字に倒れこむ。 わずかに、ふわりと政宗が好む香の香りがした。 「今日は相当、危なかった…」 政宗の泣き濡れた顔と、白檀の香り、そして色香は左近の熱を呼び覚ますのに十分だった。 そしてその熱は当分収まってくれそうもない。 子供のように可愛がってきた政宗からの強烈な色香に中てられて、 今日という今日は三成を裏切ってしまうかもしれない、と思った。 「これは明日、殿にキツーい灸を据えておかないと、身が持たない…」 痴話喧嘩に巻き込まれるのならばまだ良い。 が、据え膳を差し出され、手につけてしまわないように自らを制御することは、 常人にはひどく難しく、精神力を要するものだ。 左近は、三成へ苦言を述べねば、と、強く思うのだった。 |
『歪み』のその後。左近と政宗。 左政も好物になりつつありますwww 大人の包容力 VS 無自覚お色気振りまき系。 左近の理性が決壊する日も近いかもしれません。 |