鬼哭




鈴が持ってきた茶を啜りながら、政宗はぽつりぽつりと過去を語り始めた。

五つのとき、病に罹り、それが元で右目を失ったこと。
陰鬱な気分でただ生かされていた日々。
けれど、父という光明が、その後の政宗の人生を切り拓いたこと。
姫としてでなく、男として、伊達家の跡継ぎとして生きる決意をした日。

生きる道を示してくれた父を撃たねばならず、
母に疎まれ、弟が継ぐべき家督を奪い、それでも生きると決めた。
それが基で弟と仲違いし、最期は弟に犯されそうになった。
腹心が室内に飛び込んでこなければ、幸村の前に、実の弟に散らされていたこと。
その場で無礼討ちにした弟の血にまみれ、政宗は尚一層、伊達家のために生きると、決意を新たにしたのだという。

その壮絶な人生に、くのいちはただ、息を呑んだ。
そして、改めて自らの過ちの大きさを知った。

(なんてことしちゃったの……アタシ……)

政宗がずっと守ってきたもの。
女を捨て、男として生きる決意と覚悟。
父の、弟の命と引き換えに、伊達家を守ると決めた誓約。

女であるという秘密を持ちながら、それでも男として"伊達政宗"の名を広め、
天を揺るがす龍として、世にその名を刻んだ。
それら全てを成し遂げてきた、"伊達政宗"としての矜持。

それを、自らの欲望のために、踏みにじったのだ。
幸村と、くのいちで。

細かく震えるくのいちの体を、政宗が撫でる。

「お前を責めているわけではない。気にするな。単なる昔話じゃ。」

気にするな、と政宗は言う。
けれど、くのいちの胸に刺さったままだった棘は、棘と言うには更に太く、杭となって打ち込まれた。
くのいちも、今まで随分と酷い目にあった。
けれど、幸村と出会い、生きる意味を見つけた。
只一人の主と決めて、誇りを持って仕事をしていた。
だが、政宗に会って幸村も、くのいちも少しずつ少しずつ、傾いでいってしまったようだ。

その結果が、今目の前にある。
上等な着物と、豪華な帯、綺麗な簪に着飾られた、ただ生かされているだけの、中身のない器。

「今は、木偶人形のようなわしでも、まだ守るべきものがある。励めよ、くのいち。」

暗に、まだ諦めては居ないのだと、くのいちに伝え、
政宗は背に垂れる髪の房を持ち上げ、もう一度、花の礼を伝えた。

「あぁ、それと。
もう一人の贈り主にも礼を伝えて欲しい。」
「…政宗さんは…幸村さまの事、嫌い?」

政宗の過去の話で、再び飽和状態の頭に、思考力はほとんど残っていなかった。
思いもかけない幸村への謝礼の言葉を託す政宗に、くのいちは反射的に問い返していた。

きょとんと、くのいちを見つめ返す政宗のあどけない顔は、いつも取り繕っているような、政治家としての顔ではなく、素の表情。
その顔から徐々にあどけなさが抜け、酷く悲しそうに歪めらた。
ゆるゆると瞳に水分が溜まってゆく。

「……嫌いじゃ……」

"嫌いになれたら、どれほど楽か。"
忍であるくのいちの耳には、小さな小さな政宗の呟きも耳に届いた。
居た溜まれずに、逃げるように部屋を辞す。

政宗は、幸村を嫌ってはいなかった。
ただ伊達政宗としての矜持が、幸村に屈する事を是としない。
せめて、正式に妻として迎えていたなら。
立花の姫、ァ千代のように、女でも、伊達政宗として家督を譲り受け、幸村が入り婿として婚姻を結んでいたなら。
あるいは違った道が見えたのかも知れなかった。



今日も夜がくる。
政宗の部屋に幸村が渡る。

くのいちには、声無き龍の咆哮と慟哭が聞こえるようで、
聞こえるわけでもないのに耳を塞ぎ、見えるわけでもないのに、きつく瞳を閉じた。



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(遂に、このときが来ちゃった…)

今、くのいちの目の前に広がるのは、炎の海。
龍が捕らえられた、あの日以上の劫火。

幸村が、少しでも気が晴れるように、と政宗のために、兼続を越後から呼び寄せた。
確かに兼続の訪問は政宗の光になったようだ。
けれど、幼き日、父が政宗の生きる光明になった光とは違った。
伊達家のために生きると決めた政宗にとって、伊達家無き今、生きる価値などなかったのだ。

兼続は、政宗の光になった。
政宗を死へ誘うための、光に。

炎と煙が立ち上る。
使用人の悲鳴と怒号、まるで戦場のような喧騒。
火柱が、火の粉が、皮膚を焼く。

ふと、側に気配を感じて、くのいちはぽつりと呟やいた。
まもなく、政宗の第二の光、死への光である兼続がくのいちの側に立つ。

「ねぇ、愛の形っていろいろあるけどさ…。
どうにもならなかったのかな、あの二人は。
政宗さんも、幸村さまの事、好きになっていたと思うんだけどな。」

兼続が何か言っている。
けれど、くのいちにはその内容が全く入ってこなかった。

(ごめんね…政宗さん。ごめんなさい。
アタシ、"守れ"って言われたのに、守れなかった。
でもこれで、ようやく言える。あなたに、謝罪の言葉を―――。)





火柱は、まるで龍が天に還るための道標。
轟音は鬼哭のように響くが、きっとこれは、ようやく解き放たれた龍の、嬉々とした高笑いに違いなかった。
くのいちは、炎の中に消えた政宗と主・幸村を想った。








お付き合いありがとうございました。
ひたすら、くのいちと政宗のお話。
ちっとも幸政でないすね…。しかもどん底のように暗い…orz

幸村救済話として、コワレテシマエの幸村バージョンもあったりするのですが…。
ちょっとここらで箸休めというか、ポップでキッチュな感じの
ライトなお話を入れたい気がします。