「――ッ政宗殿!!!」 瞬間的に肝が冷えた。 何が起こったのかわからなくなった。 ただ感じたのは、この上もないほどの暗闇。 気付けばそこは血の海だった。 仇花 「幸村…」 「………」 「…幸村っ……」 「……………」 「幸村!」 「……………」 枕元でじっと何も言わず、膝の上の拳を震えるほどに握り締めて座り続ける幸村。 その幸村に声を掛けてみるが、応答はない。 無視するくらいなら、部屋から出て行けばよいものを、と思うが、口には出さない。 幸村をこんな状態にしてしまった原因の一端を担っているとの自覚があるからだ。 けれど。 (――こうも黙りこまれては……) 政宗は困り果てて小さく溜息をつく。 戦であれば傷つくのは当然の事。 生死も常に背中合わせだ。 ただ、注意を怠って、その死の方へ片足を突っ込んでしまった己の慢心は認めよう。 手当てを受け床に臥せっていたが、北条氏康に斬られた肩を押えながら政宗はゆっくりとその身を起こした。 「―ッ!政宗殿。まだ起き上がってはいけません。」 「なんじゃ、口が聞けたか幸村。」 顔を顰めながら起き上がる政宗に、慌てて幸村は床を勧めるが、政宗は支えようとする幸村の手を跳ね除けて起き上がる。 ようやく口を開いた幸村を恨めしそうにその隻眼で見上げ、完全に体を起こすと、 政宗はゆっくり息を整えた。 傷は深くはないが、まだ血が止まらない。 「政宗殿!寝ていてください。お願いですから…」 「何故お前が泣きそうな顔をする?この怪我はわし自らの落ち度じゃ。 お前にも、助けてくれとは言っておらぬ。」 「…政宗殿…」 悲しそうに名を呼ばれ、政宗は捨てられた子犬のように見える幸村の頭を撫でた。 「じゃが、お陰で命拾いした。礼を言う。何か褒美が欲しければ…」 白い夜着に若干血が滲んだのか、それとも政宗の言葉や行動にか、幸村は苦い顔をして、 渋々、政宗の肩に羽織をかけた。 「わたしが、好きで助けたのです。政宗殿が礼を言われる必要はありません。」 「ふっ…嘘が下手じゃな幸村。そう思っておるなら、何故口を聞かなかった? 何か、わしに言いたいことがあるのじゃろう?」 不敵に笑む政宗に、幸村の渋面は益々厳しくなった。 政宗に言いたいことなど山ほどある。 けれど、何から伝えていいか、分からずに、幸村は今日の戦について記憶を呼び起こす。 忍城攻め。それ自体に問題は無かった。 ただ、政宗が味方武将を助けるために一人突出したのだ。 石田三成も、直江兼続も、前田慶治すら、皆辺りを気にする余裕は無かったが、政宗は味方のために駆けて行った。 気付いた幸村も後を追ったが、すばやい政宗に追いつけなかった。 政宗が北条氏康に斬りかかる。 いつものように、倭刀が横一線に薙がれ、金属同士がぶつかる甲高い音がした。 火花が散って、氏康がたたらを踏む。 その隙を逃さず政宗は距離を取って発砲した。 氏康との距離が開き、味方は体勢を立て直すため後退を始め、戦線から離脱した。 それを確認したのか、政宗が不敵に笑み、一人氏康を追撃し始めたのだ。 幸村はそれを認め、政宗に追いつくために更に進撃速度を上げた。 撤退する味方に揉まれながら、幸村は必死だった。 政宗の部隊の他、周囲に味方は少ない。 当然だ。政宗が味方を助け、助けられた味方は体勢を整えるために撤退している。 この場は政宗も退くべきなのだ。 政宗が怪我を負うことなどない。 そうは思うが、相手はあの北条氏康だ。 いくら政宗でも一人では無茶だ。 「政宗殿っ!!」 人々の怒号が響く中、必死に叫ぶが政宗には届いていない。 その時だ。 珍しく、倒れた兵士の槍に足を取られて、政宗が体勢を崩してしまった。 その一瞬の好機を氏康が見逃すはずがない。 影技で政宗の体が飛ばされる。追撃されて赤い血が飛び散った。 袈裟斬りに斬り付けられる政宗と、信じられないほどの赤い飛沫。 その赤を見たとき、幸村の中でざぁっと血の気が引いた。 政宗がゆっくりと倒れる姿を見ているのに、まるで見えていないように視界が暗闇に埋もれる。 肝が冷えて気持ちが悪いのに、感覚だけは冴え渡っていく。 気持ち悪い、けれど腹の底から得体の知れない感情が湧き上がってくる。 思い出せないが、自らの内から迸る何かを抑える事ができなくなり、 気付けばあたり一面、敵兵の骸と血で染まっていた。 氏康も甲斐姫も血だらけで、何とか撤退するのがやっと、という状態だったようだ。 幸村はそれ以上の追撃をせず、倒れている政宗の下へ駆け寄った。 血の赤に染まる陣羽織、意識のない政宗に、幸村の血の気は更に下がった。 戦で興奮している筈なのに、指先は怖ろしく冷えていったように感じる。 そこから先も、無我夢中で陣中へ政宗を連れ帰り、最優先で医者に見てもらえるよう騒いだ気がする。 今思い返せばみっともなく取り乱して恥ずかしいことこの上ない。 けれど、政宗を失う恐怖に比べたら…。 そう思い返し、幸村は唇をかみ締めた。 「幸村?」 政宗に問われ、幸村はさらに拳を握り締め、政宗を睨みつけた。 その視線の強さに、政宗も一瞬気圧される。 「政宗殿。此度の戦、政宗殿のお陰で味方武将に怪我人が少なかった。 それは、政宗殿が押されている味方を助けるため、一目散に駆けて行ってくださったからです。」 「…それがどうした。自軍に損害が少ないことは良いことではないか?何故不機嫌なのじゃ。」 「味方は助かったが、貴方本人はいかがですか?このような怪我を負って…。」 幸村はそっと、怪我をした政宗の肩を撫でた。 「戦では傷を負うものじゃ。気にするほどの事でもあるまい?」 「違いますっ!一歩間違えば、命が危うかった!もし、貴方を失うことになっていたら…」 「わしが、天下を取らずに死ぬと思うか?」 「…っ…そうではないのです政宗殿!何故分かってくださらないのですか!」 思いのほか、強く叫ばれて政宗は目を瞠る。 いつも穏やかな幸村が言葉を荒げるなど、滅多にない。 「あの時、倒れる貴方を見て、わたしは怖かった。 貴方を失うのかと思って…そう思ったらわたしは…わたしは…抑えが利かなかった!」 「…幸村……」 「わたしにとって、貴方はかけがえのない人だと気付かされたのです。」 俯く幸村の告白に、政宗はきょとんとする。 今、幸村はなんと言った? とてつもないことを言われたのではないか? 政宗はぐるぐると考える。 こういうとき、いつも良く回る頭は回らなくなるのだ。 「政宗殿の血を見て、正直怖くなった。 貴方が死んでしまったら…目の前から消えてしまったら…わたしは、きっと生きていけなくなる。」 「……幸村……」 「もう、一人駆けて行くのは止めてください。」 「何を…」 「必ず、この幸村を連れて行ってください。」 馬鹿な、と続けようとして、政宗は言葉を続けることが出来なくなった。 あまりにも真剣な、真摯な視線に、息を飲む。 「…敵である場合は…どうするのじゃ……わしは天下を獲るぞ?」 「敵であっても、わたしは貴方をお守りする。」 「…馬鹿め!何を戯けたことを…」 「本気です。」 強い言葉に、政宗は二の句が告げられない。 怪我をした肩を押され、政宗は痛みに顔を顰めると供に、体の踏ん張りがきかず、床に身を沈めた。 「気付かされたのです。私は、貴方が好きだと。」 「……?!」 「初めて人を愛おしいと思いました。」 「………き…むら……?」 「同時に、怖ろしくなった。」 言葉を区切り、政宗の顎に触れて視線を絡めた。 幸村の熱い視線を受けて、政宗は固まってしまう。 政宗は穏やかな幸村しか知らない。 戦でも常にどこか冷静で、内に秘める熱を表に出すことは少ないのだ。 敵対していても熱くならず冷静に戦況を見極める。闇雲に走ることなど、ない。 そんな印象の幸村が、酷く真剣な顔で、熔けてしまいそうな程の熱を孕んだ目で、 政宗を見つめている。 「貴方を、喪わなくて良かった。」 「…よせ…」 「間に合って、良かった。」 「……幸村…」 「貴方を助けることができて、私ははじめて自分の力を誇らしく思えた。」 「……やめよ……」 次々と紡がれる言葉に、政宗は視線を逸らして、語気も弱く幸村を押し返す。 これ以上は幸村の言葉を聞くのが怖い。政宗の中で、向けられれる愛情ほど不可解で不安なものはない。 右は怪我で動かせないため、左の腕で押し返すが、その腕は難なく幸村に取られた。 「わたしは、貴方が、好きな…」 「やめよ幸村!」 語気のみ強めて幸村の言葉を遮る。 白く、柔らかな布団に身を沈め、その体を押さえ付けられている状態では、それ以上の抵抗ができない。 もう言葉だけでしか幸村を遮ることは出来ないが、政宗には自信が無かった。 冷静ではあるが、頑固な面もある幸村の事。 万全でない政宗が止めることは難しいはずだ。 「…それ以上は……言うな。」 弱々しい言葉に、幸村は少しだけ口を閉じた。 「頼む…その先は、聞きとうない…」 「…今、遮ったとしても、私の気持ちは変わりませんよ、政宗殿。」 「何故じゃ…何故……わしなのじゃ……お前なら、周りにいくらでもおるではないか…」 もう両腕は使えない。 じんわりと、隻眼に涙がたまる。 泣いてしまいたいのに、幸村の視線が痛くて、矜持の塊のような政宗には泣くに泣けない。 しかし、どうして泣きたいのか、政宗には分からなかった。 愛情には滅法弱いと自覚はしている。 与えられる愛情にどう対処して良いか分からないのだ。 今まで愛情など感じて生きてきたことがない。 この乱世の世では、親子の愛情すら希薄である事は珍しくないのだ。 「何故でしょうね。でも、気付いたらあなたしかいなかった。 あなただけを、ずっと見ていました。」 「…………」 「あなたの笑顔、あなたの声、あなたの全て、全力でお守りいたします。」 「め…迷惑じゃ…そんなもの…」 布団の上、縫いとめられたまま、政宗の頬はみるみる赤くなっていく。 いままでこんなにも真っ直ぐで真摯な言葉など、聞いたことが無かった。 無償で与えら得る愛など、知らなかった。 「…褒美を下さると、仰いましたね。」 「……言った……」 「では、陰からでもいい、自己満足でも良いので、あなたを守らせてください。」 ゆっくりと拘束が解かれ、頬を撫でられる。 政宗は弱く体を震わせると、思わずきつく両目を閉じた。 「いけませんか?」 「…………そこまで言うなら…わしは……助けられたとしても、礼など、言わぬぞ…」 「構いません。」 「…お前の想いに…応えられぬ…ぞ…たぶん…」 弱いが、それでも断言しない政宗に、幸村は「おや」と瞳を瞬かせる。 「"たぶん"ですか」 「……うむ……」 「政宗殿が、断言なさらないのも珍しいですね?」 「…っ!…ば…馬鹿め!お前の気持ちなど、知らぬ!どのような仇花になろとも、わしのせいではない!」 幸村の言葉に、反射的に政宗は言い返す。 閉じていた視界を開けば、片目の視野だけでも、いっぱに幸村が広がる。 穏やかな、政宗が良く知る幸村の笑顔がある。 「良いのですよ、政宗殿。この気持ちに気付いたときから、報われぬことなど分かっているのですから。」 「……おまえは馬鹿じゃ。謙虚すぎる。」 「そうでしょうか?」 「馬鹿じゃ、大馬鹿者じゃ。わしなど、好きにならずとも、おなごは沢山おるのに…」 幸村は、微笑を浮かべたまま、政宗の髪に触れた。 そのままゆっくりと、髪をすくようにその頭を撫でる。 少し茶色がかった、猫ッ毛を丁寧に梳く。 癖があるように見えるのに、心地よい絹のような手触りに、幸村は感嘆の溜息をついた。 一豪族に過ぎぬ真田家の次男坊が、伊達家の当主の髪に触れることなど出来ない。 それを思えば、政宗が少しは幸村に気を赦している証拠だろう。 「わたしは、どのような女人より、政宗殿が好きなのです。仕方ありません。」 「…その…幸村は……わしを好きだというが…」 口ごもり、掛け布を引き上げる政宗が妙に可愛らしく、幸村は抱きしめたい衝動に駆られるが、 相手は怪我人と思い留まる。 「はい。好きです。」 「どのような感じに好きなのじゃ…」 「…すみません。問われている意味が良く…」 政宗の言う、"どのような感じ"とは、幸村には分からない。 それに先ほど、全部が好きだと告げたばかりだった。 確かに、政宗の全てを知っているかと問われれば、答えは否、なのだけれど。 幸村が知っているのは政宗のほんの一部で、もしかしたら受け付けない部分もあるかも知れないのだが。 それでも今、幸村が他など目に入らないくらいに政宗が愛おしいことに変わりはない。 「だから…っ!お前の言う好き…というのは、家族のように好きなのか、 それとも…その………」 言い篭る政宗に、幸村は愛おしさが募る。 普段の意気高な政宗も好きだが、こうして時折妙に可愛らしい振る舞いをする政宗も、 幸村の心を捕らえて放さないのだ。 だが、こうした仕草を自分以外にも見せているのかと思うと、昏い感情も芽生えるが。 「先ほども申しましたが、あなたの全てが好きなので。政宗殿が、わたしの恋人であって欲しいと思っています。」 「…なおさら…馬鹿じゃな…」 幸村の言葉に、耳まで染めながら、政宗は小さな声で呟いた。 「わしを"守る"など下らぬことに褒美を使わずとも、その他の事に……」 「…政宗殿…?」 「……っなんでもない!わしはもう寝るぞ!」 何か、とんでもないことを言い出してしまうところだった、と政宗は慌てて言葉を濁す。 掛け布をさらに引き上げて、幸村に背を向けようとしたが、頭を撫でていた幸村の手が、それを阻む。 「…政宗殿、褒美は、一つでなくても良いでしょうか?」 「…………駄目じゃ。」 おそるおそる見上げた幸村の笑顔が、何か良く無い事を考えているように見えて、 政宗は慌てて頭を振る。 自ら撒いた種とは言え、あまりにも浅はかな事を言ってしまった。 後悔してももう遅いが、この幸村相手に今、勝てる気がしない。 政宗は、あまりにも向けられる好意に弱く、 また義に篤く、命の恩人でもある幸村を、無碍に出来ない。 「お顔を見せてください、政宗殿。」 「…それが褒美で良いなら。」 困った方ですね、と忍び笑いと供に幸村が呟くのを、政宗は苦々しく思う。 完全に子供扱いされている、と感じる。 身分は自分の方が上のはずなのに、一体何故このような事に、と思うが、もうまともな思考は残されていなかった。 ぐっと掛け布を下げられ、抵抗する間もなく、幸村の顔が間近に迫る。 反射的に瞳を閉じれば、柔らかな声が降ってきた。 「あなたが好きです、政宗殿。あなたを、お守りすると誓います。」 「…ゆき…」 優しく告げられる言葉に、政宗はそっと瞼を上げた。 幸村と視線が絡むと、幸村、と名を呼ぶ前に、言葉を塞がれる。 幸村の暖かな唇で。 (守れぬ約束などして…それが褒美とは馬鹿じゃな、幸村…。 仇花に実は成らぬとはよく言ったものじゃ…) 幸村の口付けを受けながら、政宗は無性に切なく、悲しくなった。 終 |
仇花 = 実を結ぶことのない花 政宗が大好きな幸村。 どうしても守りたくて、頑張って守るんだけど、最終的に自分を選んでしまったり。 政宗も、自分に縛られるのではなくて、幸村の信じる道を進んで欲しいと思っちゃったり。 そこまで表現はできていないんだけれども。。。 この二人はラブラブして欲しいと思うけど、どうしても悲恋になってしまう。 |